こんにちはエンタメ考察室です。
甘い顔立ちで上弦の鬼の中でも高い人気を誇る鬼といえば上弦の弐・童磨ですよね。
胡蝶しのぶや栗花落カナヲ、嘴平伊之助など鬼殺隊の面々とは浅からぬ因縁の鬼です。
まるで機械のような冷酷さがあったり不意に見せる笑顔は子供のようだったりと不思議な魅力があります。
今回は上弦の弐・童磨について解説していきたいと思います。
また童磨が女性ばかりを喰らっていた本当の理由や物語初期からしのぶと童磨の因縁が示唆されていた伏線についても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。
※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。
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1.童磨
童磨は白橡色の髪の毛と貼り付けたような笑みが特徴的な鬼です。
最強の鬼である上弦の鬼の中でも最高級の実力を持つ上弦の弐として君臨していました。
常に笑顔で飄々としており思考や感情が読みにくい鬼でもあります。
「万世極楽教」という宗教を行っていた両親のもとに生まれその珍しい外見から神の声が聞こえる特別なことして祭り上げられていました。
しかし実際は神の声など聞こえずそれどころか神にすがる人間を憐れむなど幼いながら達観した側面があります。
信者の女性に手を出していた色狂いの父親を母親が滅多刺しにして殺害します。
半狂乱になった母親が目の前で服毒自殺をした時ですら
と感じたり血の匂いを取るために
と考えていたりとその回路は常軌を逸していました。
鬼になってからも万世極楽教を続けており信者を喰らい自身と一つになることで共に幸せになれると謳っていました。
伊之助の母・琴葉も信者の一人であり夫の暴力から逃げてきた琴葉を匿っていました。
女性を喰らうことを好む童磨でが琴葉に対しては
という理由から喰らわずにに生かしていました。
童磨が「心の綺麗な人」を傍に置きたいと感じた背景には両親や信者といった周囲の人間の醜い部分を多く見てきたことが影響していると考えられます。
琴葉に対しては
と考えていた童磨ですが童磨が信者を喰っていることを知り極楽教から逃亡したことを殺害しています。
また元花柱である胡蝶カナエを殺害した鬼でもあります。
最終決戦では激闘の末にカナエの妹である蟲柱・胡蝶しのぶを吸収しますが栗花落カナヲと嘴平伊之助によって討伐されました。
童磨は手に持った対の扇から氷を生み出して放つ血鬼術を使います。
氷の大きさや形状は自由自在であり状況に合わせて多彩な異形を持っています。
中でも特に凶悪と言える技は氷を霧状にして周囲に散布する血鬼術ではないでしょうか。
自身の血を凍らせて霧状にして放つ粉氷は吸うだけで相手の肺胞を壊しさせることができます。
呼吸器系への影響が大きいため「全集中の呼吸」を使う鬼殺隊にとっては天敵と呼べる強力な血鬼術です。
また冷気を煙状にして撒き散らす血鬼術「凍て曇」は目を瞑っていないと眼球が凍結してしまうため思うように視界を確保することができません。
作中では優れた視力を持つカナヲに使用していましたよね。
こうした冷気による攻撃は初見での対処が難しく動体視力が優れているカナヲですら冷気による影響が少ない場所へ退避しながら戦うことしかできませんでした。
霧状にする技以外では自身を模した氷人形を作り出して戦わせる「結晶の御子」が凶悪な威力を持っています。
これは童磨と同程度の血鬼術を放ちかつ自立した戦闘が可能な人形を召喚する技です。
さらに童磨が
城に入ってきた鬼狩りたちを倒させたら早いかも」
と言っていることから氷人形を複数同時に展開することもできるようです。
まさに反則技と呼んでもいいのではないでしょうか。
そんな童磨ですが上弦の中では嫌われ者だったようです。
作中での動向を見るに童磨はわざと相手が感情的になるような発言をしていますよね。
例えば作中で初めて上弦の鬼が集結した際、童磨は玉壺に対して
女の生首を生けて飾ってあるよ」
と発言していました。
玉壺が
と返していることから童磨の趣味ということがわかりますね。
このやり取りがあった上弦会議では猗窩座は終始不機嫌でしたね。
特に童磨に対する当たりが強かったのではないでしょうか。
実はその後、猗窩座は人間時代に将来を誓い合った恋人を毒殺させた過去が明かされています。
一生守ると約束したにも関わらず大切な人を守れなかった後悔と悲しみから鬼になって以降も女性だけは喰らっていないことがわかっています。
そんな猗窩座にとって女性をまるで物のように扱う童磨の言葉は決して心地よいものではなかったはずです。
また黒死牟が猗窩座に対して「入れ替わりの決戦」を申し込むよう言及した際
童磨は
加えて俺に至っては猗窩座殿よりも後で鬼となり
早く出世したのだから彼も内心穏やかではあるまい!」
と煽りまくっていますよね。
黒死牟に対しても
と言っており、まるで兄でありながら弟である縁壱に嫉妬心を抱いていた黒死牟への皮肉とも取れる発言をしていました。
もちろん童磨が黒死牟の過去を知っている可能性は低いため童磨には自覚がないでしょう。
しかし縁壱への思いを引きずり続けていた黒死牟にとってこれほど痛い台詞もないと思います。
さらに「公式ファンブック・弐」では無惨にすら好かれていなかった事実が明かされています。
童磨は無惨を崇拝し積極的にアピールをしていたにも関わらずあまり任務を与えられていなかったようです。
上弦の中でも特に猗窩座のことを気に入っており猗窩座が死んだ際は一番の友人だったのにと発言していました。
童磨が猗窩座を気に入っていた理由として猗窩座だけが童磨の行動に反応してくれていたからだと考えられます。
例えば上弦会議の場では馴れ馴れしく肩を組んできた童磨の顎を粉砕したり命令を受けていないのにも関わらず玉壺に言い寄った童磨の頭部を吹き飛ばしたりしています。
猗窩座からしてみれば単純に童磨を嫌っているゆえの行動なのですが感情を理解できない童磨は相手をしてくれるすなわち行為があると解釈していたのかもしれませんね。
2.女を好んで喰らっていた本当の理由
感情がないと言われる童磨ですが作中では感情の機微とも取れる描写がいくつか存在しています。
例えば感情がないことをカナヲに指摘された際にはそれまでの貼り付けたような笑みから一変して真顔になり「不快」とも取れる感情をあらわにしました。
また伊之助の母・琴葉に対しても
と発言しています。
死の間際には虫柱・胡蝶しのぶに対して恋心とも思える感情を抱いています。
女性ばかりを喰らっていた童磨ですがその理由として
女をたくさん食べた方が早く強くなれる」
と発言しています。
これが事実ならば他の鬼たちも女を優先的に喰らっているはずではないでしょうか。
しかし作中で女性ばかりを喰らっていたのは他の鬼では沼鬼とだけだけでしたよね。
沼尾には女は16歳を超えると肉が臭くなるという集会な持論を持っており栄養を得たいという考えよりも個人的な思考が影響していると考えられます。
堕姫に関しても美しさへの執着から来るこだわりであり決して強さを求めて女性を狙っていたわけではなかったと思います。
実際に目が良いという理由だけで炭治郎の目を喰らおうとしていましたよね。
このことから女を喰らった方が早く強くなるというのは建前であり本質は別のところにあるのかもしれません。
童磨の父親は信者の女に次々と手を出していた色狂いでした。
童磨自身も父親のように自らの欲を満たすために女性を喰らっていたとしたらどうでしょうか。
父親と同類であることを認められない童磨は
という建前で自分自身をごまかそうとしていたのかもしれませんね。
こうした姿から童磨は感情がないわけではなく感情の振れ幅が人より小さいために自分自身でも認識できていないだけなのではないでしょうか。
また童磨は感情が揺れ動くような場面で一拍置くような姿があります。
これは自身の中に感情が存在するのかを探っているのではないでしょうか。
ひょっとしたら童磨自身心の奥底では感情がないことに焦りを感じていたのかもしれません。
カナヲに指摘された際に無表情になったのも感情に対する劣等感のようなものを見抜かれたからなのではないでしょうか。
「公式ファンブック・弐」では無惨は強い執着や渇望がないものは鬼として大きな進化をしないという考えを持っており強い執着を持たない童磨には関心が薄かったことが明かされています。
童磨自身も崇拝する無惨が自分を見ていないことに気づいており自分に足りないものつまり感情の振れ幅が大きい人を羨ましく感じていたとしても不思議ではありませんよね。
だからこそ感情表現が豊かな琴葉がお気に入りだったのかもしれません。
また童磨の母親は色狂いの父親をメッタ刺しにして殺した挙句、半狂乱になりながら服毒自殺するというヒステリックな人物として描かれています。
穏やかで子供を思いなことはとは正反対に思えますよね。
童磨が琴葉を気に入っていたのは無意識のうちに琴葉に理想の母親を求めていたからなのかもしれません。
「大正コソコソ噂話」によると童磨は琴葉を追ってきた夫と姑を殺して山に捨てています。
わざわざ山に捨てているあたり童磨は琴葉を追ってきた夫と姑に対して嫌悪感のようなものがあったのではないでしょうか。
少なくとも童磨は明らかに琴葉をどうでもいいとは思っていませんよね。
むしろ終着や嫉妬心すら伺えます。
このように童磨には多少なりとも感情の機微も受け取れるものが見て取れます。
童磨は幼少期から神の声が聞こえる特別な子供として神格化されていました。
おおよそ子どもらしいことはさせてもらえず毎日のように信者の身の上話を聞かされ崇められ祈られていました。
このことからおそらく同年代の子供と遊ぶ機会もなかったのではないでしょうか。
教団のために特別なこと言う役割を強制された点において童磨が置かれていた状況は精神的な虐待に近いと言えます加えて両親の壮絶な最期です。
もちろん生まれた時から感情の起伏が人より乏しかったとは思いますが童磨はこうした幼少期の精神的なストレスから自身を守るために感情を閉ざしてしまったのではないでしょうか。
そんな童磨とよく似た境遇の人物が童磨を討伐したカナヲです。
カナヲもまた幼少期に親に捨てられ身売りされるという過酷な環境から言葉や感情を失っていましたよね。
しかしカナヲはカナエとしのぶに救われ蝶屋敷の仲間や炭治郎たちと出会い支えられていくうちに感情を取り戻すことができました。
そういった意味では童磨は環境次第ではあり得たかもしれないもしもの自分であるカナヲに敗北したと言えるでしょう。
3.しのぶを好きになった理由
最終決戦に備えて致死量の七十倍もの毒を体に仕込んでいたしのぶを吸収したことで童磨は目玉が崩れ落ち全身の骨が溶けるという悲惨な状態になります。
歩くことすらままならないほど弱体化した童磨は「無氷・睡蓮菩薩」で最後の抵抗を試みました。
しかし血気術の精度の低さから余裕のなさを見抜いたカナヲは「終ノ型・彼岸朱眼」で動体視力を極限まで上昇させることでに対抗し伊之助の助力もあって見事頸を切ることができました。
頸を切られた童磨は
と死への恐怖すらも感じないことを自嘲しながら死んでいきます。
しかし死後の世界でしのぶと対峙した童磨はしのぶに恋をしているような様子を見せました。
顔を赤らめながら
としのぶを口説いた童磨ですが
と笑顔で振られ地獄に落ちたものと思われます。
カナエの死から始まり特に深い因縁を持つ童磨としのぶですが実はこの2人の対決を暗示するかのような描写が物語初期から存在しています。
しのぶと童磨の台詞には数多くの類似点が確認されています。
初登場時しのぶは那田蜘蛛山の戦いで
と発言していました。
一方童磨は無限城のしのぶとの戦いで
と言っています。
全く同じ言葉ではありませんが因縁の2人が同じ夜について言及しているのは偶然とは思えませんよね。
同じく那田蜘蛛山で自分は無理やり戦わされていると訴える姉蜘蛛に対ししのぶは。
かわいそうに助けてあげます
仲良くしましょう」
と語りかけています。
童磨もまたしのぶと初めて対面した際に
何かつらいことがあったんだね…
聞いてあげよう話してごらん」
とよく似た台詞を言っていました。
どちらも表面上の台詞であり本心ではないところが類似していますよね。
さらにしのぶは姉蜘蛛を拷問するつもりである旨を説明した際
と語っていました。
童磨も上弦会議の場で無惨に対して
目玉をほじくり出しましょうか」
と発言しています。
対象が他人か自分かという違いこそありますが両者の狂気的な部分は似ているのかもしれません。
姉蜘蛛を倒した後しのぶは
と言っていました。
童磨も死の直前に猗窩座の気配が変わったことを不思議がりながら
と笑っています。
しのぶは鬼に童磨は人間に対する非常さや愛着のなさが伝わってきますよね。
那田蜘蛛山で禰豆子は妹だと説明する炭治郎にしのぶは
と言っています。
童磨も自身の攻撃で苦しむしのぶに対して
想像を絶する痛みだろう
俺がすぐに頸をストンと落としてあげるから
無理しないで!」
と似た意味の台詞を吐いていましたよね。
こちらも一見すると相手をいたわっているように見えますが実際は死という未来が確定しており全く相手の心配などしていないことが分かります。
そして構図や展開にも類似点が存在します。
例えば41話の扉絵ではしのぶの足元に蓮の花があります。
蓮の花は童磨の扇子や血気術にモチーフとして使われるなど童磨を彷彿とさせる花ではないでしょうか。
さらに161話の扉絵には童磨とともにしのぶの髪飾りや羽織のモチーフとされるアサギマダラが飛んでいます。
41話は那田蜘蛛山で姉蜘蛛と戦う回ですので当然童磨は登場していません。
つまりこの時点ですでにしのぶと童磨の因縁が示唆されていた可能性があります。
しのぶが姉蜘蛛を倒した時と童磨がしのぶに攻撃を与えた時の構図や蝶屋敷でしのぶが炭治郎に
と近づいた時と上弦会議で童磨が猗窩座に近づいた時の構図がほとんど同じです。
また同じく蝶屋敷で炭治郎が
としのぶの隠された感情を見抜きましたよね。
猗窩座が死んで涙を流していた童磨もカナヲによって嘘だと見抜かれています。
おそらくワニ先生は宿命の二人を意図的に重ねて描くことで二人の心情や迎える結末をより印象をつけようとしたのではないでしょうか。
二人の背景や振る舞いには対比とも思える要素が確認できます。
しのぶは姉を殺した鬼への憎悪を押し殺し優しく穏やかな姉を演じていました。
一方童磨は感情を知らない自分の空虚さを埋めるかのように情緒豊かな教祖を演じていましたよね。
笑顔が特徴的な2人ですがしのぶは怒りを抑えるために笑っているふりをしていました。
童磨は感情がないために笑っているふりをしています。
他人に本心を隠したい本当の自分を見られたくないという思いは童磨もしのぶも同じだったのかもしれません。
このように童磨としのぶには数多くの類似点や対比の要素が存在しており二人の因縁を暗示していたものと考えられます。
感情のない童磨ですが死後の世界でしのぶに恋をしていますよね。
これは頸を斬られた童磨が
「これが恋というやつかな」
と発言していることからもわかります。
一見すると死んで初めて恋という感情が芽生えたように見えますがあくまで死後に自身の感情に気づいただけで童磨は頸を切られる前からしのぶを特別視していたのではないでしょうか。
幼い頃から神の子としてしか自分を見てもらえなかった童磨にとってたとえ憎しみの感情とは言え「童磨自身」を見てくれたのはしのぶが初めてだったと思われます。
また童磨にとって人間とは
という認識でした。
鬼の頸が切れないという致命的な欠点を持っているにも関わらず神仏にすがることなく自身の知恵と努力だけで柱にまで上り詰めたしのぶは童磨がこれまで目にしたことのない種類の人間だったのではないでしょうか。
そういった意味では悔しい憎いといった感情を糧に努力を積み重ねてきたしのぶは感情を知らず執着を持たないにもかかわらず己の才覚だけで上弦入りした童磨とは正反対の存在と言えるでしょう。
と謳ってはいますが童磨は極楽や神仏といったものを一切信じてはいませんでした。
これは人間時代に神の声が聞こえるフリをしていたことや自身をすがる信者を見て極楽なんて存在しないと考えていたことからもわかりますよね。
つまり童磨にとって信者の救済は建前であり実際は単なる食事と言えます。
ただ救済ということにしておかないと童磨自身の行動に矛盾が生じてしまうため表向きはそう言い張っているだけなのではないでしょうか。
そんな童磨でが死後の世界でしのぶを「地獄」に誘っています。
極楽を信じていない童磨がなぜあるはずのない「地獄」という言葉を使ったのでしょうか。
しのぶはこの時無惨討伐に対して。
「私はそう確信している」
と語っていました。
仲間との絆のように目には見えないものを信じるしのぶに触発された童磨は自身もこれまで信じていなかった地獄を信じたくなったのかもしれません。
ひょっとしたら童磨はしのぶが持っている自分とは違う部分を薄々感じており無意識のうちに魅力を感じた結果一つになりたいと考えたとしても不思議ではありませんよね。
一見すると人間らしい感情などなくただ殺戮を楽しむ悪魔のような存在に見える童磨ですが細かい描写を見ると案外人間らしい部分を持っていることがわかりますよね。
そんな隠しきれない人間臭さも童磨の魅力の一つなのかもしれません。
なんだかんだ言っても童磨は憎めない!
と言い放ったしのぶがかっこよすぎたと思った人はまた次の記事でお会いしましょう。
今回は以上です。
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