こんにちはエンタメ考察室です。
刀鍛冶の里を襲撃し弱々しい見た目とは裏腹に老獪かつ協力すぎる血鬼術で炭治郎らを追い詰めた鬼といえば上弦の肆・半天狗ですよね。
好戦的な鬼が多い上弦の中で弱々しく振る舞い分身に戦闘をさせ本隊は逃げ隠れる半天狗は異質な存在と言えるのではないでしょうか。
今回はそんな上弦の肆・半天狗について解説していきたいと思います。
また最強の分裂体・憎珀天が少年の姿をしている理由や分裂前の半天狗の目に上弦の数字が刻まれていない理由についても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。
※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。
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1.半天狗
上弦の肆・半天狗は機体に大きなコブと角を持った老人のような外見の下鬼です。
非常に臆病かつ卑屈な性格をしておりちょっとしたことに対しても悲鳴を上げたりガタガタと震えながら泣き出したりする姿が印象的ですよね。
上弦会議では90年ぶりですかなと久しぶりに再会した猗窩座に話しかけた玉壺に対し呼ばれたのは113年ぶりじゃ割り切れぬ数字恐ろしい恐ろしいと単なる数字にすら怯える姿がありました。
作中では無惨の指示のもと上弦の伍・玉壺と共に刀鍛冶の里を襲撃しました。
半天狗の登場場面はそれまで登場したどの鬼とも違う不気味さが滲み出ていましたよね。
追い詰められるたびに強くなる血鬼術とどこまでも保身を優先する徹底した逃避術により炭治郎たち鬼殺隊を翻弄し続けました。
最終的には極限まで集中し一時的に「透き通る世界」と同等の力を発言した炭治郎によって本体の居場所を見抜かれ身を隠していた分裂体ごと両断されて消滅しました。
ちなみに半天狗は作中に登場した鬼の中で唯一無惨から手放しで褒められた鬼でもあります。
意図したものではありませんが斑点が炭治郎たちを追い詰めたことで結果的に禰豆子が太陽を克服します。
長年追い求めていた太陽を克服する鬼を見つけた無惨はあまりの嬉しさから汗だくになりながらよくやった半天狗と称賛していましたよね。
2.憎珀天の謎
半天狗は斬られるたびに自身の分裂体を生み出す血鬼術を持っています。
分裂体にはそれぞれ固有の能力があり見た目も異なります。
作中では本体を含めて7体の分裂体が登場しました。
分裂体の下には喜びや怒りなどそれぞれが司る感情表す文字が刻まれています。
本体以外は頸を斬られても死ぬことはありません。
しかし舌を斬られた場合は再生が遅くなるという弱点を持っていました。
詳細は後述しますがこれは嘘つきを意味する二枚舌に由来していると考えられます。
他にも嘘つきは地獄の閻魔大王に下を引き抜かれるといった言い伝えも関係しているのかもしれませんね。
全ての分裂体を操る本体が今日の鬼です。
見た目は炭治郎らが初めに遭遇した斑点と同じですが野ネズミほどの大きさしかありません。
下には今日の文字が刻まれており文字通り常に怯えています。
作中ではひたすら逃げに徹し先頭に参加することはありませんでした。
体の小ささとは裏腹にとても硬く本体を発見した不死川玄弥が斬りつけた際は玄弥の刀の方が折れ南蛮銃による狙撃にも無傷で耐えていました。
さらに体の大きさをある程度調整できるようで作中では心臓以下の大きさまで変化しています。
小さい体で逃げ回りたとえ見つかっても異様に硬い体で頸を守るという自らの身を守ることに特化した能力が特徴的な鬼と言えるでしょう。
危険なことは全て分裂体に任せて自分は安全な場所に身を隠し見つかれば一目散に逃亡する姿勢には炭治郎も責任から逃げるなと激怒していましたよね。
もしかしたら本体の下に刻まれた表には卑怯者という意味も含まれているのかもしれませんね。
次に半天狗が作中で初めに生み出した喜怒哀楽の分裂単位について解説していきます。
喜怒哀楽の分裂体はどれも若々しい外見をしており公式ファンブック弐ではこれは反転の若かりし頃の姿であると解説されていました。
裏際大きな翼と鳥のような手足が特徴的な分裂体です空喜とはぬか喜びを意味する言葉です。
その名の通り笑顔が多く事あるごとに
と発言していましたよね。
飛行能力があり作中では炭治郎を上空へと連れ去り動きを封じた上で攻撃する戦法を取っていました。
固有の能力である共和は口から強力な音波を放ちます。
また爪の威力が高く空喜自身も混合石をも砕く威力だと言っていましたよね。
積怒は手に持った錫杖が特徴的な分裂体です。
「積怒」とは積もり積もった怒りを意味する言葉です。
常に不機嫌そうな態度をとっており他の分裂体の失態には
と怒鳴り散らす様子もありました。
自身の肉体から錫杖を作り出しその錫杖から電撃を放つことができます。
錫杖は複数生成可能で作中では電撃をまとった錫杖を禰豆子に突き刺したまま新たに錫杖を作り出して戦っていましたよね。
哀絶は作務衣と槍が特徴的な分裂体です。
哀絶とはとても悲しいことを意味する言葉です。
常に憂いを帯びた表情をしており作中では何かにつけて悲しいと発言していました。
他の3体のような超常的な能力は持っていないものの冷静な判断力と高い槍の技術で禰豆子や玄弥の体を何度も突き刺しています。
特に激塁1つは前方に鋭い衝撃波のような攻撃を複数放つ技で攻撃を受けた玄弥は体中が穴だらけになっていましたよね。
可楽は天狗が使うようなハウチワが特徴的な分裂体ですからという単語は存在しませんがよしとするという意味のかと楽しいの楽が組み合わされていることからおそらく楽しければ良いといった意味が込められているのではないでしょうか。
実際、可楽の行動には常に快楽が伴っています。
玄弥に頸を吹き飛ばされた時も
初めて食らった感触の攻撃だ」
と笑っていましたよね。
覚醒状態の根付を素手で押さえたり蹴りで禰豆子の胴体を貫通したりと身体能力の高さがうかがえます。
また手に持ったハウチワは人を簡単に吹き飛ばすほどの強風を巻き起こすことができます。
一方で強風による攻撃はあくまでハウチワの能力のようで作中では辛くの腕ごとハウチワをもぎ取ったネズコによって辛く自身が吹き飛ばされてしまう場面もありました。
そして喜怒哀楽の分裂体が吸収合体して生まれたのが憎珀天です憎珀天は像の字が書かれたレンズ墨と少年のような見た目が特徴的な分裂体です。
若々しい外見とは裏腹にとても尊大で威圧的な態度をとり斑点の本体を攻撃した炭治郎らを一方的に極悪人と呼んでいましたよね。
その威圧感はただ睨みつけただけで炭治郎が心臓が痛いと感じ言葉を発するだけで玄弥が立っていられなくなるほどです。
喜怒哀楽すべての分裂体の技が使用できさらには電撃と音波を同時に放つ共鳴依頼冊のような合わせ技まで披露しました。
加えて憎珀天固有の血鬼術も使えます。
血気術「無間業樹」は木でできた巨大な龍を召喚して自在に操ることができます。
竜は様々な用途に使えるようで作中では本体である今日の鬼を木で囲って守ったり龍の口から喜怒哀楽の技を放ったりしていましました。
分裂体であるため本体を討伐する以外に倒す手段がありません。
その強さはあざに覚醒した濃い柱ですら本体討伐が後一方遅ければ敗北していたほどです。
まさに最強の分裂体と言えるでしょう。
そして半天狗が最後に生み出した分裂体が恨みの鬼です。
本体である今日の鬼をそのまま大きくしたような外見ですが筋骨流流で本体よりも攻撃的な性格をしています。
追い詰められた本体が最後に生み出した分裂体であり本体を自身の心臓に匿っていました。
他の分裂体と比べると特筆すべき能力がないことから半天狗がいかに追い込まれていたのかが分かりますよね。
このようにとても厄介な分裂能力を持つ半天狗ですが憎珀天だけが分裂ではなく分裂体同士の合体によって生み出されています。
具体的には適度が泳ぎ辛く排泄を一方的に吸収した結果なぜかさらに若返った憎珀天の姿となりましたよね。
これは半天狗にとって怒りの感情がそのほか全ての感情を飲み込んでしまうほど強かったからではないでしょうか。
だからこそ怒りを表す分裂体赤道が軸となり他の3体を次々と吸収していったのかもしれません。
怒りがすべてを飲み込んだ末に象の字を持つ増白天となったのも怒りと憎しみが関連性のある感情だからだと考えられます。
嬉しさや楽しさから憎しみの感情は生まれませんよね。
悲しみだけは憎しみに近い位置にあるのでもしかしたら悲しみを司る哀絶が中心となって合体する組み合わせもあり得たのかもしれません。
そもそも憎珀天が生まれたタイミングは炭治郎が半天狗の本体を追い詰めた時です。
この時の反転の心情としてはなぜ何もしていない自分がいじめられなくてはいけないのかといったものでした。
こうした本体の怒りや憤りの気持ちに呼応して怒りを司る赤道が他の感情を飲み込んでいったのでしょう。
最強の力を持つ分裂体が憎しみを司る鬼だったのは人間時代の半天狗に残った最も強い感情が他人への憎しみだったからだと考えられます。
後ほど解説しますが半天狗は人間時代から犯罪と嘘を繰り返していました。
しかし罪悪感は一切なくむしろ自分は悪くないとすら考えていたほどです。
そんな斑点宮にとって自分を嘘つき呼ばわりし最終的には極刑まで言い渡した人間たちは憎しみの対象でしかなかったのではないでしょうか。
そんな隠された像の感情が怒りをきっかけに表面化したのが増白天なのかもしれません。
半天狗が生み出す分裂体はそれぞれ年齢が異なります今日の鬼と恨みの鬼は老人の姿で喜怒哀楽の分裂体は青年のように若々しい姿でしたよね。
喜怒哀楽の4体が青年の姿をしているのは理解ができます全盛期の力を再現するために若い肉体を構築する必要があったのでしょう。
もしくは単純に肉体が分裂したことで年齢までも分割されたのかもしれません。
一方でそんな喜怒哀楽の分裂体が合体した増発点が最も若い少年の姿をしているのは違和感がありますよね。
いくら若い肉体の方が強いと言ってもさすがに小学生ほどの子供の姿が先頭に向いているとは思えません。
強迫点が少年の姿をしている理由として考えられるのが憎珀天の姿は斑点の高ありたいという思いが具現化したものではないでしょうか。
そう考える根拠として反転と増発点の性格の違いが挙げられます。
半天狗は作中で何度も自分は悪くない自分をいじめるやつが悪いと言った旨の発言をしていました。
もちろん実際は鬼として数々の人間を食らっているはずなので斑点の発言は単に自分自身を正当化したい気持ちの表れと言えるでしょう。
そんな半天狗にとって自身のすべてを肯定し自分をいじめる悪い奴らを成敗してくれる増白典はまさにヒーローのような存在ではないでしょうか。
後ほど詳しく解説しますが半天狗は人間新時代から嘘にまみれた人生を送っていました。
これは見方を変えれば本心を一切さらけ出してこなかったとも言えます。
その場しのぎの嘘でごまかし続けた結果半天狗は自分が本当に言いたいことや伝えたかったことを隠し胸の内に溜め込むようになっていったと考えられます。
必要以上に臆病な性格もあってなおさら自分の意志を他人に伝えることができなかったのかもしれません。
こうした人生を送ってきた斑点が尊大な態度で物事をはっきりと言える増白天のような性格に憧れを抱いたとしても不思議ではありませんよね。
実際、憎珀天が言う悪人という言葉のチョイスや高圧的な態度は人間時代の半天狗をさばいたオブ業様を彷彿とさせます。
回想から察するに半天狗はおそらく平民の生まれではないでしょうか。
地位の高いを奉行様が偉い人強い人の象徴だったとしてもおかしくはありません。
天という字には人を超えた存在や神様といった意味合いが含まれています。
数ある分裂体の中で増白天の名前にだけ点がつくのは斑点の中で増発点が神格化されている証しではないでしょうか。
増発点のように強者としての人生を送りたかったなという思いが人生の出発点である子供の姿として繁栄された可能性はあると思います。
以上の点から増白天の姿は反転のこうありたいという思いが具現化したものだと予想してみました。
3.5の過去反転の人間時代の名前は不明です。
幼少期から嘘ばかりついており何かあると他人に責任をなすりつけ常に自分は被害者だと思っていたようです。
作中の回想場面では人間時代の半天狗が何度も罪を繰り返しその度に嘘で言い逃れようとしていたことが明かされました。
時には自分は悪くないこの手が勝手にといった言い訳にもならない嘘も入っていたようです。
公式ファンブック・弐によるといつもその場しのぎの嘘で名前や年齢を偽り続けてきたためもはや自分でも本当の名前が思い出せないようになったそうです。
何度か妻子がいたこともあったようですが虚言癖や不誠実さを指摘されるたびに虐げられたと逆上し殺害するといったことを繰り返していたようです。
半天狗の性格は人間時代からほとんど変わっておらずなるべくして鬼になった人物と言えるのではないでしょうか。
半天狗の結果が分裂を作り出す能力なのもこうした人間時代からの性格が影響していると考えられます。
時には自分の手にすら責任転嫁していた半天狗ですので本人の中では分裂体に戦わせることで自分ではなく分裂体が勝手にやっているということになっているのかもしれません。
そう考えると作中で繰り返し言っていた自分は悪くない自分は何もしていないと言った旨の発言にも一応の納得ができます。
人間時代にその場その場で名前や年齢を変えていたのももしかしたら同じようにあくまで本当の自分ではないかりそめの人物に責任をなすりつけていたのでしょう。
また分裂前の半天狗の目には上弦の証である数字がありません。
これは目が裏返っているつまり白目を向いた状態ということでしょう。
当たり前ですが白目を向いていると視界が狭まって不利になりますよね。
なぜ半天狗はわざわざ白目を向いているのでしょうか。
その手懸りは半天狗の過去にあります。
大正コソコソ噂話によれば半天狗は人間時代にガラの悪い男にぶつかった際目が見えないふりをすることで見逃してもらえた経験があったそうです。
また盲目を装うと色々な人が親切にしてくれることを知り以降は目が見えないと嘘をつき始めた背景があります。
つまり半天狗は白目を剥くことで目が見えないフリをしていたのではないでしょうか。
盲目を装うことで周囲に同情を促し優しくしてもらおうとしていたのでしょう。
もちろん目が見えないからと言って必ずしも白目になるわけではありません。
しかし自らの犯行を自分の腕のせいにしていた半天狗ならば白目にしておけば盲目に見えるだろうという安易な思考に至っていてもおかしくはありませんよね。
そう考えると戦う力を持つ分裂体が誰一人として白目になっていないのも納得がいきます。
気が弱く保身を最優先に考える本体だからこそわざわざ目を裏返してまで同情を引く必要があったのではないでしょうか。
人間時代の影響を受けていると考えられる点は他にもあります。
例えば斑点が初めて炭治郎らの前に姿を現した場面です。
この時炭治郎は愚か柱である無一郎ですらその姿を確認するまで鬼が来たという事実に気づくことができませんでした。
半天狗が姿を見せる直前炭治郎たちは誰か来てますと言った会話を交わしています。
炭治郎らが何者かの存在は察知できていることから単純に反転の気配の消し方が上手いわけではないことが分かりますよね。
半天狗は自身が鬼だという部分だけを隠して近づいているのです炭治郎らが半天狗を鬼だと気づけなかったのは半天狗が長い人生経験の中で培った人を欺く技術が原因ではないでしょうか。
作中ではこの様子を気配のとぼけ方の巧みさと表現しています。
うまいとは技術的に優れている時に使う言葉です。
幼少期から嘘を吐き続け他人を欺き裏切りながら生きてきた半天狗ですので初対面の人間に取り入ったり警戒させずに近づいたりといった技術に優れていたのではないでしょうか。
実際人間時代の半天狗は盲目のフリをして同情を買い世話をしてくれた人から盗みを働いていましたよね。
半天狗が炭治郎たちに鬼だと気づかれなかったのはこうした警戒させずに近づく技術の高さがあったからだと考えられます。
一方で本体である今日の鬼が炭治郎たちに追われているときはこうした技術を発揮する素振りがありませんでしたよね。
鬼であることを隠せるのであれば本体が見つからないようにうまくごまかせそうなものです。
しかし実際は普通に見つかり見つかった後は必死に逃げたり隠れたりしていました。
割とどうでも良い登場場面では技術を使っているのに本当に必要な場面で使っていないのは違和感がありますよね。
こうした様子から恐らく半天狗は分裂体を生み出すことで気配を欺く技術が使えなくなってしまうのではないでしょうか。
先ほども解説したように半天狗の技術は血鬼術ではなく長い人生で培ってきた技術だと予想できます。
技術には知識と経験に裏打ちされた感覚的な部分も含まれると思います。
そういった人生の積み重ねのようなものは肉体の一部に過ぎない分裂体では再現できないのではないでしょうか。
本体とは言っても分裂体を生み出している以上今日の鬼も半天狗の一部ですよね。
だからこそ分裂前の半天狗は気配を欺く技術が使え分裂後は使えなくなっているのだと考えられます。
登場したばかりの頃はその老人のような姿からあまり強そうな印象がなかった半天狗ですが蓋を開けてみれば所見殺しの凶悪な鬼でしたよね。
黒死牟や猗窩座のように真っ向勝負に強い鬼も恐ろしいですが半天狗のように卑怯で陰湿な能力もまた悪鬼らしいのかもしれません。
半天狗の血鬼術が特殊すぎ!
お奉行様が格好良すぎる!
と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。
今回は以上です。
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