鬼滅の刃

【鬼滅の刃】遊郭編最終話で童磨が遊郭にいた本当の理由を考察!

2023年8月10日

『鬼滅の刃』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable


 
質問者
遊郭編の最終話で童磨が遊郭にいた理由を教えてください。

こんにちはエンタメ考察室です。

最強格の鬼であり、しのぶやカナヲそして伊之助にとっては因縁の相手でもある存在といえば上弦の弐・童磨ですよね。

穏やかな笑みや軽薄な態度とは裏腹に無惨を神とする宗教を開いていたり信者を食らうことで救済できると信じていたりと狂人的な一面が目立つ鬼です。

今回はそんな上弦の弐・童磨について解説していきたいと思います。

また童磨に感情がない理由や妓夫太郎と堕姫を鬼に変えたときなぜ童磨が遊郭にいたのかについても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。

 
 
 

※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

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1.童磨

童磨は白橡色しろつるばみいろの髪の毛と貼り付けたような意味が特徴的な鬼です。

最強の鬼である上弦の鬼の中でも最上位に位置する実力を持つ上弦の弐の鬼として君臨していました。

遊郭編では妓夫太郎と堕姫を鬼にした張本人であることが明かされています。

当時は眼球に陸の文字が刻まれていることからその後に上弦の弐まで昇格したことが分かります。

妓夫太郎たちに話しかけた時に童磨が抱えていた女性の生頸の髪型は横兵庫よこひょうごという1780年代以降に遊女たちに流行った髪型だそうです。

こうした描写などから妓夫太郎と出会ったのは1780年代以降と考えられます。

そして妓夫太郎たちが殺されたことを受け113年ぶりに上弦の鬼たちが集結されたのが1915年頃と推測すると上弦の顔ぶれが遊郭編時点のメンツになったのは1800年頃と予測できます。

となると童磨は20年程度で上弦の陸から上弦の弐へと昇格しています。

これはなかなかのごぼう抜きの出世と言えるのではないでしょうか。

そして童磨は常に笑顔で飄々としており思考や感情が読みにくい鬼でもあります。

万世極楽教という宗教を行っていた両親のもとに生まれその珍しい外見から神の声が聞こえる特別な子として祭り上げられていました。

しかし実際は神の声など聞こえずそれどころか神にすがる人間を憐れむなど幼いながら達観した側面があります。

信者の女性に手を出していた色狂いの父親を母親がメッタ刺しにして殺害し半狂乱になった母親が目の前で服毒自殺をした時ですら部屋を汚さないでほしいと感じたり血の匂いを取るために早く換気しなきゃと考えていたりとその思考回路は常軌を逸していました。

鬼になってからも極楽教を続けており信者を喰らい自身と一つになることで共に幸せになれると本気で信じていたようです。

伊之助の母・琴葉も信者の一人であり夫の暴力から逃げてきた琴葉をかくまっていました。

女性を喰らうことを好む童磨が琴葉に対しては

「心の綺麗な人がそばにいると心地いい」

という理由から喰らわずに生かしていました。

童磨が心の綺麗な人をそばに置きたいと感じた背景には両親や信者といった周囲の人間の醜い部分を多く見てきたことが影響していると考えられます。

童磨は琴葉に対して寿命が尽きるまで手元に置いといて喰らわないつもりだったと考えていたそうです。

しかし童磨が信者を喰っていることを知り極楽教から逃亡した琴葉を殺害しています。

また元花柱である胡蝶カナエを殺害した鬼でもあります。

最終決戦では激闘の末にカナエの妹である蟲柱・胡蝶しのぶを吸収しますがカナヲとはの子供である伊之助によって討伐されました。

感情がないと言われる童磨が作中では感情のキビとも取れる描写がいくつか存在しています。

例えば感情がないことを可能に指摘された際にはそれまでの貼り付けたような絵から一変して真顔になり不快とも取れる感情を露わにしました。

また伊之助の母・琴葉に対しても心の綺麗な人がそばにいると心地よいと発言しています。

死の間際には蟲柱・胡蝶しのぶに対して恋心とも思える感情を抱いています。

こうした姿から童磨は感情がないわけではなく感情の振れ幅が人より小さいために自分自身でも認識できていないだけなのではないでしょうか。

また童磨は感情が揺れ動くような場面で一拍置くような姿があります。

これは自身の中に感情が存在するのかを探っているのかもしれませんね。

ひょっとしたら童磨自身心の奥底では感情がないことに焦りを感じていたのかもしれません。

カナヲに指摘された際に無表情になったのも感情に対する劣等感のようなものを見抜かれたからなのではないでしょうか。

公式ファンブック・弐では無惨が強い執着や活動がないものは鬼として大きな進化をしないという考えを持っています。

強い執着を持たない童磨には関心が薄かったことが明かされています。

童磨自身も崇拝する無惨が自分を見ていないことに気づいており自分に足りないものつまり感情の振れ幅が大きい人を羨ましく感じていたとしても不思議ではありませんよね。

だからこそ感情表現が豊かな琴葉がお気に入りだったのかもしれません。

また一説によると童磨は結核がモデルと言われています。

結核には様々な症状があります。

その一つとして肺を蝕みやがては肺胞を破壊してしまうというものがあります。

後述する童磨の血鬼術には凍った血を霧状にして散布し吸い込んだ相手の肺胞を壊死させる粉氷という技がありました。

そして童磨討伐のためにカナヲが使用した技の一つに花の呼吸・終ノ型「彼岸朱眼ひがんしゅがん」があります。

これは動体視力を極限まで高める代わりに視力を失うという危険性がある技でした。

大正時代に使用されていた結核の治療薬の中には副作用として視力を低下させるものが存在していたそうです。

このことから結核つまり童磨を倒す薬としての役割をカナヲが担っていたとも考えられます。

2.強さ

血鬼術上弦の弐として君臨する童磨ですが実は上弦の参・猗窩座よりも後に上弦入りしていることがわかっています。

猗窩座よりも後に入ったにも関わらず先に上弦の弐に上り詰めている点から童磨の潜在能力の高さがうかがえます。

そんな童磨の強さを語る上でまず挙げられるのが鋭い洞察力です。

蟲柱・胡蝶しのぶと対峙した際には日輪刀を鞘に収めた時の音でしのぶが毒の調合を変えていることを見抜いています。

また少し切り合っただけでカナヲの視力や伊之助の皮膚感覚の鋭さにも気づいていました。

飄々とした態度とは裏腹に情報は有益という考えのもと相手の技を出し切らせることで今後の戦いに生かす中心深さも持ち合わせています。

童磨は手に持ったニ対の扇から氷を生み出して放つ血鬼術を使います。

氷の大きさや形状は自由自在であり状況に合わせて多彩な変わり種を持っています。

中でも特に凶悪と言える技は氷を霧状にして周囲に散布する術ではないでしょうか。

自身の血を凍らせて霧状にして放つ粉氷は数だけで相手の肺胞を壊死させることができます。

呼吸器系への影響が大きいため全集中の呼吸を使う鬼殺隊にとっては天敵と呼べる協力な血気術です。

また冷気を煙上にして撒き散らす血鬼術・煙は目をつむっていないと眼球が凍結してしまうため思うように視界を確保することができません。

作中では優れた視力を持つカナヲに使用していましたよね。

こうした冷気による攻撃は初見での対処が難しく動体視力が優れているカナヲですら冷気による影響が少ない場所へ退避しながら戦うことしかできませんでした。

霧状にする技以外では自身を模した氷人形を作り出して戦わせる決勝のみこが凶悪な威力を持っています。

これは童磨と同程度の血鬼術を放ちかつ自立した戦闘が可能な人形を召喚する技です。

さらに童磨が

「あと5体くらいこの子たち出して
城に入ってきた鬼狩りたちを
倒させたら早いかもな」

と言っていることから氷人形を複数同時に展開することもできるようです。

まさに反則級の技と呼んで差し支えないのではないでしょうか。

童磨の鋭い洞察力と戦う相手に合わせて柔軟に対応できる応用力の高い決起術こそが童磨の強さの秘訣と言えるでしょう。

また動体視力と身体能力が高いカナヲの日輪刀を奪い鋭い皮膚感覚と野生の勘の持ち主である伊之助の被り物をかすめ取るという早業も見せています。

このことから身のこなしもとても俊敏であると言えるでしょう。

一見するとつける隙がないように思える童磨です。

しかし欠点と呼べる部分も持ち合わせています。

今後のために相手の技を出し切らせるという立場は見方を変えればなかなか本気を出さないとも言えます。

しのぶとの戦いでは

「毒を喰らうのって面白いね
癖になりそう」

と発言しあえて毒を喰らうようなそぶりも見せています。

もちろん相手との実力さを推し量った上での言動だとは思います。

こうした天才ゆえの慢心こそが童磨最大の欠点なのではないでしょうか。

実際しのぶの毒をことごとく無効化した童磨はしのぶの体内に毒がある可能性を考えることすらせずにしのぶを吸収したことで毒を受け命を失うことになりましたよね。

3.しのぶを吸収した理由

無限城で激戦を繰り広げた童磨としのぶですがその戦いの結末は童磨がしのぶを丸ごと吸収するという衝撃的なものでした。

妓夫太郎の回想や最終決戦序盤で描かれた童磨が人間を喰らう場面では体を引きちぎってボリボリと音を立てながら喰らうという残虐な方法とっています。

ですがしのぶだけは吸収という方法をとっています。

しのぶだけ違う方法で喰われているのは違和感がありますよね。

ボリボリという音から察するに童磨は人間を骨ごと喰らっていると推察できます。

鬼とはいえ体の大きさは人間と同じです。

人一人を喰らい切るまでにはそれなりに時間がかかるのではないでしょうか。

また肉を引き裂いて喰らうことからどうしても返り血を浴び周囲に血が飛び散ってしまいます。

実際、作中で鬼が人間を喰らう場面の多くは鬼の口から血が滴り周囲に血が飛び散っていますよね。

つまり血を撒き散らして無駄にすることがなく口で喰らうよりも早く人間を取り込むことができる吸収の方が効率という面においては優秀だったと言えるのではないでしょうか。

また別の理由として考えられるのは童磨にとってしのぶが特別な存在だったことです。

童磨は死後の世界でしのぶに恋をしました。

これは頸を切られた童磨が

「今はもうない心臓が脈打つような記載するこれが恋というやつかな」

と発言していることからもわかります。

一見すると死んで初めて恋という感情が芽生えたように見えます。

ですがあくまで死後に自身の感情に気づいただけで童磨は頸を切られる前からしのぶを特別視していたのではないでしょうか。

幼い頃から神の子としてしか自分を見てもらえなかった童磨にとって例え憎しみの感情とはいえ童磨自身を見てくれたのはしのぶが初めてだったと思われます。

また童磨にとって人間とは存在しない神にすがる哀れな生き物という認識でした。

鬼の頸が切れないという致命的な欠点を持っているにも関わらず神仏にすがることなく自身の知恵と努力だけで柱にまで上り詰めたしのぶがこれまで目にしたことのない種類の人間だったのではないでしょうか。

そういった意味では悔しい憎いといった感情を糧に努力を積み重ねてきたしのぶは感情を知らず執着を持たないにも関わらず己の才覚だけで上弦入りした童磨とは正反対の存在と言えるでしょう。

「俺は信者たちの思いを血を憎をしっかりと受け止めて救済し高見へと導いている」

と言っているように童磨は人間と一つになることで共に幸せになれると信じています。

童磨が自分にないものを持つしのぶに魅力を感じ一つになりたいと考えたとしても不思議ではありません。

以上の点から喰らうよりも吸収する方が効率的なことと童磨にとってしのぶが特別な存在だったことが童磨がしのぶを喰らわずに吸収した理由だと考えられます。

4.童磨が遊郭にいた理由

最後に遊郭編で童磨が吉原遊郭にいた理由について考察していきたいと思います。

遊郭編に登場した妓夫太郎と堕姫を鬼にしたのは当時上弦の陸だった童磨でした。

遊郭はたくさんの人が訪れる場所であり主に夜間に営業しています。

遊女の中には身売りや借金返済のために働いている者も多く中には足抜けといって借金を返さずに逃亡することもありました。

蕨姫花魁わらびひめおいらんの正体を薄々気づいていた側面もあると思いますが店からいなくなった善逸に対する京極家の主人の

「足抜けだ
俺は知らん
どこかへ逃げたんだろう
放っておけ」

という態度からも遊女がある人突然失踪することは珍しいことではないと言えるでしょう。

このように鬼が活動する夜にたくさんの人が集まりかつ行方不明になっても大事に分かりにくい場所という意味で遊郭は鬼が潜みやすい場所だったと考えられます。

女性が多く集まる遊郭は女性の肉を好む童磨にとってまさに格好の餌場だったのではないでしょうか。

根拠の2つ目は宗教と遊郭には密接な関係性があることです。

万世極楽教には明確なモデルがないと考えられていますが時代背景などの一部の設定に関しては江戸時代に創立された幕末三大宗教を参考にしている可能性があります。

公式ファンブック・弐では童磨が鬼になったのは20歳の頃と記載されていました。

作中ではここ100年余り上弦は顔ぶれが変わらないと言われていますので童磨が人間として生きていた時代は江戸後期と言えるでしょう。

万世極楽教もその頃に誕生したと考えると幕末三大宗教と時期が重なります。

また幕末三大宗教には一つの神だけを崇める一神教のものや華やかな喜びに包まれた楽しみづくめの暮らしを教えとして掲げるものも存在しています。

童磨の万世極楽教は鬼舞辻無惨を唯一の神とする一神教です。

表現の仕方こそ違えど辛さや苦しみから解放し信者を幸せにしたいという意味では幕末三大宗教に近い部分があるのではないでしょうか。

そんな幕末三大宗教の不況は吉原遊郭にも広がっており遊女など社会の底辺で苦しむ人々を助けていました。

また遊郭の経営者である労使も有力な信仰者だったと言われています。

時代背景を同じくする万世極楽教もまた遊郭と接点を持っていたとしても不思議ではありませんよね。

以上の2点から万世極楽教は遊郭と密接な関係にあり童磨は食事も兼ねて定期的に足を運んでいたと推察できます。

そして遊郭で育った妓夫太郎たちに偶然出会ったのではないでしょうか。

 

まとめ

万世極楽教では多くの悩める信者を受け入れていた童磨です。

童磨自身もまた感情を知らないことに対して引け目を感じていた可能性があります。

幼い頃から神の子として崇められていた童磨にとって万世極楽教が世界の全てだったのではないでしょうか。

精神が成熟する前から大人の汚れた部分や人生の辛く苦しい部分を見せられてきたという意味では童磨もまた一人の被害者なのかもしれません。

しのぶを殺した童磨が許せない!

童磨には同情できない!

と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。

今後も鬼滅の刃の素晴らしさを伝えるべく記事を紹介します。

今回は以上です。

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