鬼滅の刃

【鬼滅の刃】玉壺の人間時代の記憶が登場しなかった理由を考察!

2023年8月29日

『鬼滅の刃』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

 

質問者
玉壺の人間時代の記憶が登場しなかった理由を教えてください。

 

こんにちはエンタメ考察室です。

半天狗とともに刀鍛冶の里を襲撃し奇抜な外見と理解不能な感性で強烈な印象を残した鬼といえば上弦の伍・玉壺ですよね。

これまでに登場した鬼が人間の姿に近いものが多かっただけに全体の形姿だけでなく目や口の位置まで人間離れした玉壺の姿に生理的な嫌悪感を抱いた方も多いのではないでしょうか。

今回はそんな玉壺について考察していきたいと思います。

また玉壺の人間時代の記憶が登場しなかった理由や玉壺が無一郎一人に完敗した理由についても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。

 
 
 

※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

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1.玉壺

上弦の伍・玉壺は両目が口になっている異形の鬼です。

芸術家を自称しており自身が作る壺や後述する「作品」に対しては並々ならぬ拘りを持っています。

口調こそ柔らかいものの実際は相手を小馬鹿にするような態度を取ることも少なくありません。

上弦会議では自身よりも序列の高い猗窩座あかざに対して

「九十年ぶりでございましょうかな?
私はもしや貴方がやられたのではと心が躍った」

と猗窩座の死を願うような発言をしていました。

公式ファンブック・弐によると玉壺は無惨以外のすべての生き物を見下しており腹のうちでせせら笑い馬鹿にしているそうです。

常人には理解できない独特の感性を持っています。

上弦会議で無惨に頸を斬り落とされ頭を持たれた時には

「無惨様の手が私の頭に!
いい…とてもいい…」

と感動していました。

また刀鍛冶の里を訪れた時には通りがかった男性を壺に吸い込んだ後に吐き出し

「やはり山の中の刀鍛冶の肉など食えたものではないわ
だがそれもまたいい…」

と発言しています。

一般的には好ましくない状況でも「いい」と感じるあたりいかに玉壺が一般的な感覚からズレているのかがわかりますよね。

玉壺の独特な感性は自身の手掛ける「作品」にも如実に表れています。

作中では「鍛人の断末魔」と銘打ち、5人の刀鍛冶の体を強引かつ歪につなぎ合わせ体中に刀を突き刺した「作品」を嬉々として紹介していました。

さらに突き刺した刀を捻ることで意図的に悲鳴を上げさせ

「どうですか素晴らしいでしょう
断末魔を再現するのです!」

と自慢げに解説しています。

こうした「作品」に絶対的な自信がある一方で自らの芸術性を理解できない者に対しては罵詈雑言を浴びせる姿がありました。

半天狗と共に刀鍛冶の里を恐怖に落とし入れ甚大な被害を与えますが後述する無一郎との戦いで頸を切られて死亡しました。

公式ファンブック・弐によると人間時代の名前は益魚儀と言い海岸近くの漁村で暮らしていたようです。

魚の死骸を集めるなどの奇行を繰り返しており村人からは嫌がられ子供たちからはからかわれていました。

玉壺は自分をからかいに来た村の子供たちを殺害して壺に詰めたり損傷の激しかった両親の水死体を見て

「美しい」

と感じたりと当時から一般的な常識とはかけ離れた感覚を持っていたと思われます。

殺された子供の親によって二又銛ふたまたもり滅多刺めったざしにされた玉壺ですが放置されてから半日経ってもまだ生きていたようです。

実はこうした玉壺の人間時代について作中では一切語られていません。

ともに刀鍛冶の里を襲った半天狗は断片的ながら過去の回想が描かれているのにも関わらず玉壺だけ過去に触れられていないのは違和感がありますよね。

ここでは作中で玉壺の過去が語られなかった理由について考察していきます。

玉壺の回想がなかったのは

結論

玉壺にとって人間時代は走馬灯として振り返る価値すらないものだった。

のではないでしょうか。

そう考える理由として玉壺が人間を見下していたことが挙げられます。

玉壺は無惨以外の生き物全てを見下していました。

実際、玉壺は人間の命をもてあそぶような作品を作り自慢げに披露していましたよね。

玉壺がいかに人間の命を軽視しているかが分かります。

多くの鬼と同様に玉壺も鬼になった時点で人間時代の記憶を失っているものと推察できます。

とはいえ自分がかつて人間だったことは理解しているはずですよね。

人間を見下している玉壺にとって自身が人間だった事実は可能であれば消し去りたい黒歴史でしょう。

玉壺が自身の肉体を改造し続けた結果鬼の中でも特に人間離れした姿になったのは

「人間に近い姿」

を捨てるためだったのではないでしょうか。

そう考えると玉壺が上弦会議で猗窩座の死を願うような発言をしていたのも猗窩座自身が人間時代の名残りを多く残しており自分以外の人間にも興味を持つ鬼だったからとも考えられます。

人間という存在そのものを見下す玉壺にとって鬼でありながら人間らしさを感じる猗窩座が目障りだったのかもしれませんね。

このように玉壺の言動からは人間という生き物そのものに対する嫌悪感とも受け取れる感情が見て取れます。

玉壺の人間時代の回想がなかったのはこうした玉壺の心情を反映した結果ではないでしょうか。

自分が嫌悪する人間だった頃など心底どうでも良いと感じていたからこそ玉壺らしが迫っても走馬灯すら見なかったのだと思います。

2.血気術・強さ

玉壺の血鬼術は壺に関連するもので壺から出した魚や水を操ることができます。

魚や水といっても玉壺が操るものは一般的なそれではなくそれぞれ特殊な能力を持った対処の難しい能力と言えるでしょう。

魚のような化け物を生み出す血鬼術では手下である筋肉の手足がついた魚のような化け物を複数召喚して戦わせていましたよね。

刀鍛冶の里では里のいたるところで発生し刀鍛冶たちを襲っていました。

このことから単純な命令ならばある程度自らで考えて行動できると考えられます。

刃物のように鋭い爪が生えており里を警護していた隊士を含め多くの人間が犠牲となりました。

体に付随した壺を破壊されない限り倒すことはできず仮に頸を斬り落としてもすぐに再生してしまいます。

また体を麻痺させる針を大量に吐き出す金魚を召喚する「千本針魚殺」や体液が毒でできている一万匹の魚を召喚して相手を食い尽くす「一万滑空粘魚」など魚自体が特殊な能力を持っている場合もあります。

水を操る血気術として作中に登場したのは「水獄鉢」です。

「水極鉢」は壺型の水の中に相手を閉じ込めて窒息死させる術です。

水中なので全集中の呼吸を使うことができないことから鬼殺隊にとっては天敵とも言える技ではないでしょうか。

水球の表面は弾力性があり時透無一郎の霞の呼吸壱ノ型・垂天遠霞でも破ることができませんでした。

作中では刀鍛冶の里の少年・小鉄が外部から息を吹き込んだことで呼吸を使うことができたため何とかとか脱出することができました。

しかしもし小鉄がいなかった場合無一郎は何もできずに窒息死していたでしょう。

こうした独特な術の数々は水や水生生物が身近な漁村で育った過去や生来の狂った美的センスが反映された結果ではないでしょうか。

このほかにも離れた場所にある壺から壺へ自由に転移することもできます。

移動だけでなく敵の攻撃をかわす際にも使えるためとても汎用性の高い能力と言えるでしょう。

また作中では脱皮することで筋肉質な真の姿へと変貌していました。

触れたものを全て鮮魚に変える「神の手」は真の姿でのみ使用可能です。

作中では「神の手」がかすった無一郎の服が活きの良い魚になっていました。

仮に直撃していたら無一郎は魚に変えられていたことでしょう。

触れた場所が有無を言わせずに魚になってしまうため実質的に防御不可能な反則技と言えます。

ちなみに真の姿を見せたのは無一郎で三人目とのことなので上弦の伍まで上り詰め恐らく柱を何人も喰ってきたであろう玉壺にとって本当に追い詰められた時にだけ使用する奥の手だったのでしょう。

3.鋼鐵塚さんを殺さなかった理由

玉壺の最期は時透無一郎によって討伐されました。

刀鍛冶の里を襲撃中、無一郎と対峙した玉壺は隙をついて「水極鉢」に無一郎を閉じ込めてその先にある小屋へと足を踏み入れました。

そこで一心不乱に刀を研ぐ鋼鐵塚さんを目撃した玉壺は鬼の自分に目もくれず刀を研ぎ続ける姿に圧倒されます。

極限の集中力を見せる鋼鐵塚さんに作り手として負けていると感じた玉壺は

「気に食わぬ…」
「殺すのは造作も泣き言だが」
「何とかこの男に刀を放棄させたい!!」
「この集中を切りたい!!」

と刀に向いた意識を切り離そうと試みます。

しかし斬りつけられても片目を潰されても意に介さず刀を研ぎ続ける鋼鐵塚さんについには玉壺も

真面まともではない」

とドン引きしていました。

こうして時間を取られている間に無一郎が水極鉢から脱出し「あざ」に覚醒します。

記憶を取り戻し戦う意味を見出した無一郎の漆ノ型・朧しちのかた・おぼろに翻弄された玉壺は一撃のもとに頸を斬られて死亡しました。

こうして見ると玉壺は上弦の伍という割にあっけなく討伐されているようにも思えます。

上弦といえば鬼の精鋭であり無惨に次ぐ実力を持った集団のはずです。

作中でも「柱三人分」と表現されるほど圧倒的な存在として描かれていましたよね。

実際、作中で初めて勝利を収めた上弦の陸・妓夫太郎との戦いは限界を超えた死闘でした。

音柱・宇髄天元と炭治郎、善逸、伊之助の全員が力を出し切ってようやく倒すことができたほどです。

天元に至っては片目と片腕を失っています。

そんな妓夫太郎たちよりも序列が上の玉壺が柱一人に圧倒されたことに釈然としない人も多いのではないでしょうか。

これは無一郎が玉壺にとって奇跡的に相性の悪い相手であったことに加え余計な矜持きょうじに固執してしまったからではないでしょうか。

無一郎の覚醒

柱一人に倒された理由の一つ目は無一郎の予期せぬ覚醒です。

玉壺が討伐された直接的なきっかけは無一郎の「痣」の覚醒と言えるでしょう。

「痣」とは全集中の呼吸を一定以上極めたものが条件を満たすことで体に浮かび上がる紋様です。

「痣」が発言したものは身体能力や治癒力が飛躍的に向上し上弦の鬼とも渡り合える実力を発揮します。

実際「痣」が発現する前の無一郎は玉壺にまともなダメージを与えられていません。

一度頸に刃を当てていますがこれは玉壺がわざと攻撃を受けただけでした。

「頸に刃を当てられてヒヤリとする感じこれはとてもいい…」

という発言からスリルを求めての行動であると考えられ玉壺には随分と余裕が感じられます。

一方「痣」が発言した後の無一郎は簡単に玉壺の体に傷をつけています。

「何故さっきよりも尚早い動きで私に傷をつけた」

という発言から玉壺の動揺が伺えますよね。

そして決定打となった漆ノ型・朧の最高速度は完全に玉壺を上回っています。

その速度は玉壺自身が頸を斬られた事実にしばらく気づかないほどでした。

突然の変化に動揺した玉壺がペースを崩されたことも原因の一つかもしれません。

また無一郎は戦いの中で精神的に大きく成長しています。

刀鍛冶の里を訪れた当初は小鉄に対して

「柱の時間と君たちの時間は全く価値が違う」

と冷たく告げるなど冷酷な側面がありました。

しかし戦いを経て自分一人の力で戦っているわけではないことを理解し刀鍛冶たちに感謝の意を述べるまでになりました。

一方の玉壺は長く生きている割に人間時代からやっていることがほとんど変わっていませんよね。

こうした内面の変化の差も少なからず戦況に影響を与えていたのではないでしょうか。

いずれにしろ無一郎の予期せぬ覚醒が玉壺の大きな敗因の一つというのは明らかだと考えられます。

相性の悪い相手

2つ目の理由は横にとって無一郎が非常に相性の悪い相手だったことです。

両者の戦いを見る限り玉壺にとって無一郎は能力面と性格面において相性が悪かったのではないかと感じます。

はじめに能力面です。

玉壺の攻撃は体液が毒を持つ魚だったり触れただけで鮮魚に変える「神の手」だったりと実に多彩でした。

一方、無一郎が使う霞の呼吸は「受け」の呼吸とされる水の呼吸から派生したものです。

どのような状況にも対応できる水の呼吸の系譜を受け継いでいるため霞の呼吸には斬撃に限らず突き技・範囲技など豊富な変形技がありました。

例えば無一郎は粘魚の体内に仕込まれた毒を「霞散の飛沫」の回転によって吹き飛ばしています。

一歩間違えば魚を斬った時点で毒が周囲に飛び散って被害が拡大する可能性もありますよね。

このように敵の攻撃を受けたり捌いたりといった技術は水の呼吸の流れを汲む霞の呼吸だからこそ実現できたのではないでしょうか。

また玉壺の奥の手と言える「神の手」がまともに当たらなかったのも霞の呼吸が力でねじ伏せたり積極的に打ち合ったりという攻撃的な型ではなかったことが要因の一つと考えられます。

仮に玉壺の相手が積極的に攻撃する岩の呼吸や風の呼吸の使い手だった場合無一郎のように一撃も食らわずに戦いを終えることができたかは分かりませんよね。

性格面

次に正確面を考察してみます。

作中では玉壺と無一郎の舌戦が描かれました。

「気色が悪い」
「便所に住んでいそう」
「手足が短い」

といった辛辣な言葉にも全く動じなかった玉壺ですが自身の壺を侮辱されたことで顔中から出血するほど怒り狂っています。

対する無一郎は何を言われても意に介さず淡々と玉壺を煽り続けていましたよね。

それほど玉壺にとって壺は大切なものであり絶対的な誇りを持って作っているものだったのでしょう。

無一郎はそんな玉壺の逆鱗に触れる箇所を的確に察知したことになります。

無一郎の一言で冷静さ欠いた玉壺はその後も終始無一郎に調子を乱され続けます。

その結果無一郎の力を見誤り頸を斬られることになりました。

もし玉壺が煽り合いに負けていなかったら感情的にならずに無一郎の力を的確に把握できていたかもしれません。

もしくは玉壺の相手が煽り耐性のない隊士だったなら逆に玉壺のペースでことを運ぶことができたのではないでしょうか。

奇をてらった攻撃に対応できる霞の呼吸だったこと。

そして自分よりも口が達者な人間に煽り合いを挑んでしまったこと。

が玉壺の敗因の一つと言えるでしょう。

誇り

3つ目の理由は芸術家としての誇りの高さです。

玉壺とといえば生きた人間同士を融合させたものを「作品」と呼ぶなど独特な感性が特徴的ですよね。

作中では度々「芸術」を口にしており芸術家を気取っています。

方向性こそ違いますが同じ「作り手」として鋼鐵塚さんが見せた極限の集中力に惹かれるものがあったのでしょう。

実際、玉壺は刀を研ぐ鋼鐵塚さんを見て

「私とてこれほど集中したことはない!」
「芸術家として負けている気がする!」

と感じています。

玉壺が鋼鐵塚さんをあえて殺さずに刀を研ぐ邪魔をしたのも下手をすれば自分よりも芸術家として優れているかもしれない鋼鐵塚さんの存在を認めたくなかったからではないでしょうか。

もしくは独特の感性を持つ玉壺ですら一心不乱に刀を研ぐ鋼鐵塚さんの姿を「美しい」と感じてしまったのかもしれません。

もし玉壺が鋼鐵塚さんをすぐに殺していたのなら無一郎が「水極鉢」から脱出できるだけの猶予もなかったと考えられます。

自分以上の芸術家に出会ってしまったことが玉壺自身の命を刈り取る結果となったのではないでしょうか。

このように過度な嫉妬や自信を持っていたが故に玉壺は勝てた勝負を捨てる結果となったのです。

人間を見下し人間らしさを毛嫌いしていた玉壺ですが

「自分が常に一番でありたい」
「周囲に認められた」

といった執着はある種とても人間らしい感情ですよね。

そういった意味では玉壺は自分が思っているよりもずっと人間に近かったのかもしれません。

これは妓夫太郎の敗北を受けて無惨が語った。

「人間性を多く残したものから負けていく」

という言葉を体現していますよね。

以上の点から玉壺が無一郎一人に倒されたのは

倒された理由

・無一郎が玉壺にとって奇跡的に相性の悪い相手であったこと。
・余計なプライドに固執してしまった。

からではないかと考察してみました。

多種多様な技の数々や芸術家を気取って自らの奇抜な感性を強要する玉壺は半天狗とはまた違った意味で面倒くさい敵だったのではないでしょうか。

一方で無一郎に煽られた際のブチ切れやペースを崩されて突っ込む姿を見るとついつい笑ってしまう憎み切れない敵でもありますよね。

もし玉壺に相手を労ることのできる心の広さがあればその独特な感性は唯一無二の個性として人々に受け入れられていたのかもしれません。

鍛人の断末魔がトラウマ過ぎた!

血鬼術単体で見ると反則技の能力すご過ぎる!

と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。

今回は以上です。

 

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