鬼滅の刃

【鬼滅の刃】継国縁壱が黒死牟を殺せなかった理由は?炭吉の娘・すみれについても考察!

2023年9月6日

『鬼滅の刃』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

質問者
継国縁壱が黒死牟を殺せなかった理由を教えてください。

こんにちはエンタメ考察室です。

柱や鬼など人知を超えた実力者が数多く登場する本作の中でも最強と言われる登場人物といえば継国縁壱ですよね。

登場場面こそ少ないものの強さと儚さを感じさせる出で立ちに不思議な魅力を感じた人も多いのではないでしょうか。

今回はそんな継国縁壱について解説していきたいと思います。

また炭吉の娘を抱き上げた時に涙した理由や縁壱が黒死牟を殺せなかった理由についても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。

 
 
 

※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

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1.継国縁壱

継国縁壱は額の痣と耳飾りが特徴的な男性で「はじまりの呼吸」の剣士とも呼ばれる戦国時代の剣士です。

穏やかで物静かな性格をしておりあまり感情を表に出すことがありません。

幼少期の経験から極端に口数が少なく何を考えているのか分かりにくい側面があります。

しかしあくまで感情を表に出すことが苦手なだけであり家族との日常を幸せと感じたり辛い出来事に心が傷ついたりといったごくごく当たり前の感性も持ち合わせています。

戦国コソコソ話によれば妻・うただけは縁壱の表情以外でも感情の動きを感じ取ることができたとされ顔が変わらなくても心を通じ合わせることに問題がなかったそうです。

また、うたから見た縁壱は「のんびりした人」という印象で雷が落ちても微動だにしなかったことから地蔵の精か座敷童かと思った時期もありました。

動物や虫にも好かれるようで鳥や狸、狐などが寄ってくることもあったようです。

「はじまりの呼吸」とも呼ばれる最強の呼吸「「日の呼吸」」を生み出した人物であり水の呼吸や炎の呼吸といった全集中の呼吸はすべて縁壱の「日の呼吸」から派生したものです。

「日の呼吸」は全ての呼吸の原点にして最強の呼吸と言われ十二ある型は繋げて繰り出すことで円環を成し最後の型である十三番目の型になるとされています。

「日の呼吸」のほかにも

・発現することで鬼に匹敵する身体能力を得る「痣」
・鬼の再生能力を阻害する効果を持つ「赫刀」
・相手の体が透けて見えるようになる「透き通る世界」

といった強力な能力を全てで習得している最強位の登場人物と言えるでしょう。

剣の実力も高く7歳で初めて剣を握った時には成人男性を一方的に打ち倒しています。

また最強の鬼である鬼舞辻無惨と対峙した際には紙一重の差ではありましたが無傷で無惨を戦闘不能にまで追い込んでいます。

さらに80歳という高齢になっても全盛期と同等の剣術を披露し上弦の壱・黒死牟を驚愕させました。

あらゆる技術が高くまさに作中屈指の最強の人物と言える存在です。

2.縁壱が涙した理由

唯一無二の才能に恵まれた縁壱ですがその生涯は悲哀に満ちたものでした。

不吉とされる双子の弟として生まれたことに始まり父親には忌み嫌われ双子の兄・巌勝とは着る物や食べ物、部屋などに大きく差をつけられて育ちました。

深い愛情を注いでくれた母親とも縁壱が7歳の時に病気で死別しています。

家を出た縁壱は「うた」という女性に出会いやがて夫婦となります。

縁壱の子を身籠ったうたでしたが縁壱が家を空けている間に鬼に襲われお腹の子供もろとも亡くなってしまいました。

その後鬼狩りとなり全集中の呼吸を広めたり人々のために鬼と戦ったりと尽くしてきた縁壱でしたが

・鬼舞辻無惨を打ち漏らし珠世という鬼を見逃したこと
・兄の巌勝が鬼となったこと

が原因で鬼殺隊を追放されてしまいます。

最終的に実の兄である巌勝と斬り合い寿命を迎えてこの世を去りました。

常人とは異なる多くの才能を持っていた縁壱は常に他人との間に疎外感を感じながら生きていました。

母親、妻子、鬼殺隊と縁壱はその生涯で3回も居場所をなくしたと言えるでしょう。

孤独な人生を送ったように思える縁壱ですが短い時間ながらも妻・うたと過ごした時間に幸せを感じていたようです。

うたと縁壱は縁壱が母親の死をきっかけに家を出た旅先で出会いました流行り病で家族を亡くしたうたと家を出た縁壱は生活を共にするようになります。

縁壱にとってうたは多くのものを与えてくれた存在だったと言えます。

縁壱はうたとの交流を通して自分と他人では世界の見え方が違うことを知りました。

今まで生物の体が透けて見えることが当たり前だと思っていた縁壱はここで初めて自分が感じていた疎外感の正体に気づくことができます。

人とは違う感覚を持つに対してもうたは分け隔てなく接し一緒に手を繋いで歩いてくれる存在でした。

縁壱はうたを

「糸の切れたタコのようだった」
「私の手をしっかりとつないでくれた人だった」

と語っています。

これは常に孤独を感じ行く当てもなく彷徨っていた縁壱の心をうたが幸せへと導いてくれたという意味なのではないでしょうか。

単行本掲載の戦国コソコソ噂話では縁壱がうたと手をつないで歩く田んぼや畑への生き返りの道をとても幸せに感じていたことが明かされています。

また作中で縁壱は

「私の夢は家族と静かに暮らすことだった」
「小さな家がいい」
「布団を並べて眠りたい」
「愛する人の顔が見える距離」
「手を伸ばせばすぐにつなげる届く距離」

とも語っていました。

幼い頃から忌み嫌われ満足な愛情を受けないまま家を出た縁壱にとって「家族と何でもない日常」こそが何よりも価値あるものだったのではないでしょうか。

炭治郎が先祖である炭吉の記憶を見た時も縁壱は炭吉に対して

「お前たちが幸せそうで嬉しい」
「幸せそうな人間を見ると幸せな気持ちになる」

と告げています。

また妻子を失い鬼殺隊を追放された縁壱は

「随分考えて思い浮かんだのがお前とすやこの顔だった」

とも言っています。

これは縁壱の夢だった家族と過ごすなんでもない日常を過ごしていたのが炭吉夫婦だったからではないでしょうか。

もしかしたら縁壱はかつてうたと過ごした幸せな日々を炭吉夫婦と重ねていたのかもしれませんね。

作中では縁壱が炭吉の娘であるすみれを抱きしめながら泣く場面がありましたよね。

これはすみれとかつて生まれるはずだった自分の娘が重なって見えた部分があるのではないでしょうか。

縁壱にはうたが鬼に襲撃された時

なぜ自分はその場にいなかったのかという後悔や本来なら自分の娘もすみれのように元気に育っていたのかもしれないという悲観的な感情があったと思われます。

しかし元気に笑うすみれを見て自分が炭吉とその妻・すやこを鬼から救ったことで守られた命があるということを実感したのではないでしょうか。

この時の縁壱の涙には過去への後悔よりも無力な自分の手でも喜び笑ってくれる存在に対する喜びや感動の気持ちが込められていたと推察できます。

炭吉夫婦と交流があった縁壱ですが炭吉とのやり取りの中でも特に意味深な台詞として

「道を極めたものがたどり着く場所はいつも同じだ」

というものがあります。

ここでは縁壱が炭吉に語ったこの発言の真意について考察していきます。

縁壱の発言は

結論

・どんなに優れた人間でも一人では限界がある
・人と人とが手を取り合って「縁」を紡ぎ
・後世に思いを継承していくことの大切さ

必要と説いているのではないでしょうか。

このように考察した理由を3点解説していきます。

縁壱と巌勝の会話

一つ目の理由は縁壱と巌勝の会話です。

かつてともに鬼殺隊として活躍していた縁壱と巌勝のやり取りの中で後継者について話す場面がありました。

自分たちを特別な存在だと感じていた巌勝は自分たちに匹敵する後継者がいないと縁壱に語っています。

しかし縁壱は

「私たちはそれ程大そうなものではない」
「長い長い人の歴史のほんの一欠片」

と言いさらに

「私たちの才覚を凌ぐ者が」
「今この瞬間にも産声を上げている」
「彼らがまた同じ場所までたどり着くだろう」

と語りましました。

作中でも最強位の実力を持っていた縁壱ですがこれから先の長い歴史の中で自分たちよりも才能に恵まれた人材は必ず現れると断言しています。

父や兄、鬼殺隊の剣士たちとたくさんの人間に裏切られ傷ついてきた縁壱ですがそれでも決して人を恨むことはありませんでした。

それどころか自分が無惨を取り逃がしたことで多くの人間が犠牲になることを

「心苦しい」

と嘆いています。

このことから縁壱が「人」そのものを深く愛していたことが分かります。

巌勝に笛をもらったことや妻であるうたとの交流から人が人に与える力の偉大さを知ったのかもしれません。

「人」を愛し「人」を信じていた縁壱だからこそいつか必ず人が鬼を打ち倒す日が来ると確信していたと思われます。

つまり大切なのは後継者を作ることそのものではなく想いや技術を通して生まれる「人」同士の縁だと言いたかったのではないでしょうか。

そう考えると人をやめ自らの子孫をも斬りつけて人の想いを挫こうとし虚無感の中で消えていった黒死牟とは正反対の道にたどり着いたと言えるでしょう。

無惨の討伐

2つ目の理由は縁壱でも倒せなかった無惨を炭治郎らが打ち倒したことです。

継国縁壱は「日の呼吸」「痣」「透き通る世界」といった特殊とも呼べる能力を持つは作中最強の登場人物と言えます。

しかしそんな縁壱でも無惨を倒すことはできませんでした。

無惨を直接追い詰めたのは炭治郎や柱を始めとする鬼殺隊ですがその背景には協力者である珠世と愈史郎や日輪刀を鍛えた刀鍛冶、隠しや藤の花の家紋の家など多くの人間の支えがありました。

どの登場人物が欠けても無惨の討伐には至らなかったと思われ数え切れないほどの縁があって初めて宿敵無惨を葬ることができたと言えるのではないでしょうか。

たとえ一人一人の力が弱くてもたくさんの人間が手を取り合えば縁壱という絶対的な力を持つ人間すらなしへなかったことができるようになると証明されました。

大正コソコソ噂話では「縁壱」という名前は人と人との繋がりを何より大切にと願い母・朱乃が付けたとされています。

また鬼滅の刃という物語は

・「壱」つまり縁"壱"から始まった縁や想いが
・「十」つまり炭"十"郎まで受け継がれ
・炭"治"郎が「治める」つまり集結させる

という伏線になっているとも考えられます。

産屋敷耀哉

3つ目の理由は産屋敷耀哉の発言です。

鬼殺隊を取りまとめていた産屋敷耀哉も

「永遠というのは人の想いだ」
「人の思いこそが永遠であり不滅なんだよ」

と言っていることから縁壱と同じ考えに至っていたのではないでしょうか。

これは無惨が産屋敷家を襲撃した際に自らを永遠に生きる不滅の存在だと語る無惨に対して産屋敷耀哉が告げた言葉です。

耀哉は続けて

「この千年間」
「鬼殺隊は無くならなかった」
「かわいそうな子供たちは大勢死んだが」
「決して無くならなかった」

とも言っています。

これは言い換えればいくら人々の命を奪い続けたとしても

「鬼を打ち倒したい」
「人々を救いたい」

という思いまでは消し去ることができないという意味ではないでしょうか。

実際に縁壱や煉獄さんといった人たちの意思や想いを引き継いだ結果、炭治郎たちは鬼のいない世界を実現させることができたと言えるでしょう。

以上の三点から縁壱の

「道を極めたものがたどり着く場所は」
「いつも同じだ」

という言葉にはどんなに道を極めようと一人の力には限界があり本当に大切なのは人と人をつなぐ「縁」と想いを継承していくことだという意味が込められていると考察してみました。

3.黒死牟を殺せなかった理由

そんな縁壱の人生は鬼となった兄・巌勝との一騎打ちで幕を閉じます。

80歳を超える高齢となった縁壱は鬼へと身を堕とし「黒死牟」となった兄と対峙します。

老体ながらその権利は健在でした。

その剣技は黒死牟が刀を抜く間もなく頸を斬りつけるほど早くすでに上弦の壱に上り詰めていた黒死牟が次の一撃で頸が落とされると確信するほど圧倒的でした。

死を覚悟した黒死牟でしたが決着がつく寸前に寿命が尽きた縁壱は刀を握ったままこの世を去りました。

最終的に敵対関係となった縁壱と巌勝ですがそんな二人の間にも深い絆が読み取れます。

忌み子と呼ばれ幼い頃はたった三畳ほどの狭い部屋しか与えられず孤独な時間を過ごしていた縁壱ですが巌勝は度々のもとを訪れて面倒を見ていたようです。

それは同情や憐れみといった感情からくる行動でしたが家族との何気ない日常を夢見ていた縁壱にとっては何よりも嬉しいことだったのではないでしょうか。

戦国コソコソ話では縁壱は2歳の時に父親から

「お前は忌み子で」
「生まれてきてはいけなかった」
「不吉な子供だ」
「継国家に災いをもたらすだろう」

と告げられていたことが明かされています。

この一件以降、縁壱は家族に災いが降りかからないように誰とも口を聞かず自分という存在を可能な限りないものとしていました。

そんな縁壱が突然「侍になる」と言い出し巌勝の稽古中にわざわざ

「剣を教えて欲しい」

と訴えたのはひとえに兄・巌勝に寄り添い支えられる人間になりたいと感じたからだと思われます。

実際縁壱が侍を目指すようになったのは

「この国で一番強い侍になる」

という巌勝の夢を知った後でしたよね。

さらに縁壱は

「俺も兄上のようになりたいです」
「俺はこの国で二番目に強い侍になります」

と続けています。

圧倒的な力を持っていた縁壱ですが決して一番になりたかったわけではなくただ大好きな兄と一緒にいたかっただけなのではないでしょうか。

縁壱と巌勝の絆を表すものとして巌勝が縁壱に送った手作りの笛があります。

食べる物や着る物、住む部屋すらも質素なものしか与えられなかった縁壱を不憫に思った巌勝は禁じられていたにもかかわらず度々のもとを訪れていました。

そのことを父に咎められ顔を殴られたにも関わらず巌勝はその翌日に再び縁壱のもとを訪れています。

そして

「助けて欲しいと思ったら吹け」
「すぐに兄さんが助けに来る」
「だから何も心配いらない」

と言って笛を渡しました。

跡目争いを嫌った縁壱は家を出る際、巌勝に

「いただいたこの笛を兄上だと思い」
「どれだけ離れていても挫けず」
「日々精進致します」

と告げています。

実際縁壱は80歳を超えて天寿を全うするまで巌勝にもらった笛を持ち歩いていました。

縁壱にとって笛は「巌勝との絆そのもの」だったと言えます。

「助けてほしいと思ったら吹け」

と言われて渡された笛ですが縁壱は巌勝に助けて欲しかったわけではなかったのではないでしょうか。

「笛を兄上だと思い」と縁壱が言っているように縁壱にとって笛は数少ない兄との思い出であり自分は一人ではない自分を思ってくれる人がいるという証だったと考えられます。

縁壱が晩年まで笛を持ち歩いていたのはただ兄にそばにいて欲しいという思いからだったのではないでしょうか。

そう考えると家族を失い一人ぼっちだったうたに縁壱が声をかけたのもかつて同じように孤独だった自分を励ましてくれた兄の行動をなぞっていたのかもしれませんね。

縁壱にとって巌勝と同じくらい大切な存在が妻のうたです。

縁壱のうたに対する想いの強さが伺えるものとして縁壱の日輪刀が挙げられます。

縁壱の日輪刀といえば炭治郎と同じ黒刀だったと言われています。

刀鍛冶の里で爆血刀を発現した炭治郎は先祖の記憶を垣間見ましたよね。

記憶では竈門すやこが

「お侍さまの方が戦う時だけ赤くなるのねぇ」
「どうしてなの?不思議ねぇ」
「普段は"黒曜石"のような漆黒なのね」
「とっても綺麗ですね」

と言っておりおそらく相手は縁壱だと考えられます。

縁壱が妻・うたと出会った時に抱いた印象も「黒曜石のような瞳」でした。

縁壱に関係する2つの事柄で同じ黒曜石という表現が使われています。

作中で黒曜石という言葉が使われたのはこの2回だけでありワニ先生が縁壱の刀とうたの瞳を同じ色に例えたのは何か意図があるのではないでしょうか。

普通に考えると黒刀の色を黒曜石に例えただけかもしれませんが見方を変えると縁壱にとっての日輪刀は亡くなったうたを表しているとは考えられないでしょうか。

縁壱が日輪刀を手に入れた時、つまり鬼殺隊に入隊したのはうたが亡くなった後でした。

縁壱にとって自身の黒い刀は愛する妻を想起させる大切なものだったのかもしれません実際、縁壱は鬼殺隊を追い出された後も日輪刀を持ち続けています。

もちろん鬼を狩り続けるためという理由が大きいとは思います。

しかし見方を変えれば亡き妻の瞳と同じ色の刀を手放すことができなかったとも受け取れるのではないでしょうか。

縁壱は幼い頃に巌勝からもらった笛を何十年も持ち続けていましたよね。

同様に黒刀を妻・うただと思って持ち続けていたとしても不思議ではありません。

さらに巌勝の笛を入れていた巾着は生まれてくるはずだった娘のものではないかとも言われています。

この巾着はうたが来ていた着物と同じ柄ですが色が黄色ではなく桃色でした。

縁壱の子供はまだお腹の中にいる時にうたと共に亡くなっています。

しかし縁壱には人体が透けて見える「透き通る世界」の力がありました。

つまり縁壱にはうたのお腹の中にいた子供の姿が見えていた可能性があります。

うたは亡くなる前に臨月になっていましたので縁壱には生まれてくる子供の性別も分かっていた可能性があります。

仮に縁壱の子供が女の子だったとするならばこれから生まれてくる娘のために可愛らしい桃色の着物を用意していたとしても不思議ではありませんよね。

このことから縁壱は兄の笛、娘の服で作った巾着、そして妻うたの瞳と同じ色の黒刀を持ち歩いていたことになります。

普段の刀の色はうたの瞳と同じ黒色で戦う際は縁壱の瞳と同じ赤色に変化しているところも縁壱の心情を表しているように思えますよね。

このように縁壱にとって巌勝は妻子と同じくらい大切な存在でした。

巌勝もまたかつては弟のために行動できる立派な兄でしたよね。

互いを思いやっていた二人ですが結果的に正反対の道を歩むことになります。

作中ではそんな二人の対比とも言える描写が存在しています。

その最たるものが「後世に生きた証を残したか否か」ではないでしょうか。

「個」の強さに執着していた巌勝は子孫を残すことはできましたが最終的には家族を捨て後継者を育てることもなく長い時間をひたすら自身の力を伸ばすために使っていました。

その結果巌勝の想いも技術も後世に受け継がれることはありませんでした。

子孫であり唯一「生きた証」と呼べる時透無一郎ですら自らの手で切り伏せています。

逆に縁壱は子孫こそ残すことができませんでしたが次の世代にいろいろな生きた証しを残しています。

例えば呼吸です。

鬼殺隊が使う「全集中の呼吸」は「はじまりの呼吸の剣士」である縁壱がもたらしたものでしたよね。

「呼吸」があったからこそ炭治郎たちは数々の強力な鬼を打ち倒すことができました。

また無惨討伐に大きく貢献した「日の呼吸」についても耳飾りとともに竈門家が代々受け継いできました。

縁壱の血縁は途絶えてしまいましたが縁壱が生きた証しは「想い」や「技術」という形で後世に残っています。

そういった意味では巌勝が欲していた「剣術の才能」を「縁壱」が手にし逆に縁壱が欲していた家族を「巌勝」が手にしていたと言えるでしょう。

家族を捨てひたすら強さを追い求めた結果、鬼になってしまった巌勝に対し縁壱は

「お労しや」
「兄上」

といって涙を流しました。

「労しい」という言葉には相手を不憫に思ったり可哀想だと感じて同情したりといった意味があります。

つまり縁壱の涙は兄が鬼になったことに対する悲しみだけではなかったと考えられます。

もしかしたら縁壱は鬼と化した兄の足跡をたどるうちに巌勝が抱えていた劣等感や嫉妬心強さへの渇望といった心情を部分的にでも理解していたのではないでしょうか。

さらには兄が目指していた「この国で一番強い侍」つまり「人」として死ねないことに対する憐れみの感情や鬼に身を堕とすほどに追い詰められていた兄の心境の変化に気づくことができなかった自身への後悔など縁壱が流した涙には実に様々な感情が込められているのではないでしょうか。

兄の気持ちを知ってしまったが故に鬼である黒死牟に対しても非情になりきれない部分があったのでしょう。

実際、縁壱は黒死牟と戦った際に「日の呼吸」を使っていないように見えます。

「日の呼吸」の特徴である炎のような効果が描かれていませんよね。

また縁壱に斬られた頸の傷もすぐに再生しているように見えます。

公式ファンブック・弐では「日の呼吸」の切られ心地について無惨と半天狗が

「不快」
「すぐ治らないしすごく痛かった」

と発言しています。

このことから縁壱は黒死牟に「日の呼吸」を使っていなかったと考えられます。

無惨ですら圧倒した強さを持つですので本気を出せば黒死牟を一撃で葬ることも可能だっしたのではないでしょうか。

しかしそれをしなかったのはたとえ鬼であっても実の兄を必要以上に苦しめたくないという縁壱の優しさがあったのかもしれません。

黒死牟の頸を斬り落とせなかったのも鬼は斬らなければならないという想いと兄を殺したくないという相反する想いがせめぎ合っていたためではないでしょうか。

縁壱が80歳を超える高齢で黒死牟との戦いに臨んだのも自分のせいで鬼になってしまった兄を鬼のまま残しては死ねないと考えたからだと思います。

責任の所在はどうであれ巌勝が鬼になった要因として縁壱の存在はとても大きいですよね。

それを自覚していたからこそ縁壱は兄との関係を生産するために自らの人生を終える前に兄との血統に挑んだ可能性が十分に考えられます。

縁壱は「透き通る世界」の力によって人体が透けて見えますので自身の寿命が尽きようとしていることも察していたのではないでしょうか。

自覚していたかは分かりませんが死期を悟ってようやく動き出しているあたり縁壱は兄との決着を先延ばしにしていたのかもしれません。

大切な家族であり血を分けた兄弟との決着を本心では望んでいなかったのでしょう。

しかし鬼となった者を野放しにすることはできません。

ここでも弟としての想いと鬼狩りとしての使命の狭間で揺れ動く葛藤が垣間見えますよね。

 

まとめ

作中屈指のとても強い登場人物と言える継国縁壱ですがその人生は決して順風満帆ではありませんでした。

幼少期から孤独を感じてきた縁壱が生涯をかけて大切にしてきたものこそ人との関わりであり本作の主題とされる

「繋ぐ」

にも通じる部分がありますよね。

縁壱が涙した場面を見て号泣した!

現代編で縁壱が転生していて良かった!

と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。

今回は以上です。

 

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