こんにちはエンタメ考察室です。
煉獄槇寿郎は元炎柱であり煉獄杏寿郎と千寿郎の父です。
作中に登場した時には酒浸りで杏寿郎の努力を認めることもなくいわゆるダメ親父そのものでした。
命を賭けて無限列車の乗客や炭治郎たちを助けた杏寿郎をくだらないと侮辱した場面は誰もが怒りを感じたのではないでしょうか。
しかし槇寿郎の本心は強い責任感と正義感故えの苦しみを抱えていたのです。
今回はそんな槇寿郎の性格や強さについて解説したいと思います。
また酒浸りになってしまった原因の一つ炎柱の書の内容や杏寿郎たちへの想いについても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。
※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。
■鬼滅の刃シリーズを無料で視聴したいならU-NEXTがおすすめ!
1.煉獄槇寿郎
槇寿郎は無限列車の戦いで命を亡くした杏寿郎の父で元炎柱です。
その見た目は杏寿郎にそっくりで無精髭を生やしておりいつも酒浸りの生活を送っているせいか着物もだらしない印象です。
年齢は明らかにされていませんが杏寿郎が20歳であることを考えると当時の男性の平均的な結婚年齢から計算して40代後半であると推測できるでしょう。
本来は鬼殺隊の最高戦力の一人として鬼殺に携わっていたものの杏寿郎が鬼殺隊に入る頃には突然覇気を失い屋敷に引きこもって酒に溺れる日々を送っています。
酒浸りになってからの槇寿郎は柱どころか親としても満足なことを行っておらず息子たちの努力を否定し杏寿郎が炎柱になったことも喜びませんでした。
杏寿郎が無限列車で多くの乗客や炭治郎らを守り命を落とした後にも
「だから死ぬんだ!」
と杏寿郎を侮辱し炭治郎と殴り合いの喧嘩に発展しています。
槇寿郎の妻は瑠火という名前で聡明で強く美しい人でしたがまだ千寿郎の物心がつく前に病気で死んでしまいました。
千寿郎は10歳前後だと考えられるので瑠火の表紙は7年から8年以上前のことだと推測できるでしょう。
槇寿郎が覇気を失ってしまったのと妻の死は同時期であるため槇寿郎がこのようなダメ親父になってしまったのは7年から8年以上前からだということですね。
2.強さ
槇寿郎が炎柱だった頃の描写は少なく本作では伊黒小芭内を蛇の鬼から救った場面のみが描かれています。
柱だった当時は現在の柱と同等の強さだったと考えられるため1人でも下弦の鬼を倒す事が出来るほどの能力を持っていたといえるでしょう。
槇寿郎の現段階の強さを考察すると10年弱もの間ろくな稽古をせず酒浸りの生活を送っていたものの炭治郎との殴り合いの喧嘩では現役の鬼殺隊士に劣らない強さを見せました。
最終的には炭治郎の頭突きで気を失ったようですが目を覚ました後は自分で酒を買いに出かけるほどの回復力も持ち合わせているようです。
やはり通常の人間とは比べ物にならない強さであることは間違いないでしょう。
しかし最終決戦時には戦線には立たず産屋敷邸にてお館様を守る後方支援に徹していることから最終決戦に参加した柱や炭治郎らに比べると能力不足であったと推察できますね。
もし槇寿郎が炎柱を続けていたとしても年齢的に最終決戦時に炎柱を務めることは難しいためどこかのタイミングで杏寿郎に炎柱を引き継いでいたと考えられます。
堕落するまでの槇寿郎は息子たちに熱心に剣術を教えていたことを考えても槇寿郎が通常の精神状態のまま年を重ねていれば炎の呼吸の育てになっていたでしょう。
3.炎柱の書
槇寿郎は酒浸りになってしまう前は杏寿郎のように熱い情熱を持って柱としての任務を全うしていました。
杏寿郎や千寿郎の人格を見ても今の状態になる前の槇寿郎は素晴らしい父親だっただろうと想像できますよね。
それでは槇寿郎はなぜ覇気を失いお酒に逃げて柱をやめてしまったのでしょうか。
その要因は二つあると考えられます。
炎柱の書を読んだ
最初の要因は槇寿郎が炎柱の書を読んでしまったことです。
炎柱の書は21代目炎柱が書き残した書物で日の呼吸だけでなく当時の炎柱と縁壱との会話の内容も記載されていました。
しかし炭治郎が炎柱の書を千寿郎から読ませてもらうことになった段階では炎柱の所は槇寿郎の手によってズタズタに破かれてしまっています。
唯一作中で開かれたページに書かれていた文章からその内容を推測してみましょう。
まず炭治郎が開いたページに書かれている文字の中で文章の解読につながる部分のみをピックアップすると
「しかし彼」「なくては」「どの呼
「匹敵する」「力を持」「決して」
です。
戦国コソコソ話には日の呼吸の使い手である継国縁壱が去った後縁壱のように上手く剣技を指導できる者がいなかったため鬼狩りは段々弱くなったという記載があります。
このことから考えられるこのページの内容は次のようなものになると考えられます。
・しかし彼はもう鬼狩りに戻ることはない
・我々は何らかの方法を考えなくてはいけない
・どの呼吸よりも強い日の呼吸を使い
・鬼の始祖にも匹敵する程の類い希な力を持っていた彼の強さに私が近づくことは決してないだろう
少し無理やりですがこのページに書かれている内容は上記のようなものであった可能性が高いでしょう。
21代目炎柱は縁壱の人並み外れた強さを理解しておりその縁壱が鬼狩りを去った後の自分を含めた鬼狩りたちの行く末について悩んでいたことが分かります。
代々煉獄家の人々は責任感や正義感が強いのかも知れませんね。
槇寿郎がが自分たちがどんなに努力しても縁壱のような強さを手にすることができないことを知ってやさぐれてしまうのも仕方がないと言えるでしょう。
槇寿郎はこの炎柱の書を読み縁壱だけでなく日の呼吸や痣・耳飾りのことを知っていたため初めて炭治郎を見た時に
と言います。
この台詞からも槇寿郎は日の呼吸に対して自分も努力ではかなわない対象であるというコンプレックスを抱えていたと言えますね。
瑠火の死
槇寿郎が柱を止めてしまった2つ目の要因は最愛の妻の病死です。
槇寿郎は炭治郎と殴り合いの喧嘩をして別れてしまった後千寿郎から杏寿郎の最後の父への伝言を聞き心を入れ替えて炭治郎に手紙を書いています。
その手紙にはこのような記載がありました。
「畳み掛けるように最愛の妻が病死した」
「それから酒に溺れうずくまり続けた私はとんでもない大馬鹿者だ」
つまり槇寿郎は炎柱の書によって自分の信念が曇り迷いを感じていた時に瑠火が亡くなってしまい自分を奮い起こす術を見つけられなかったのでしょう。
一生をかけて追い求めていたものに迷いが生まれ同じタイミングで大切なものを失ったら精神的に不安定になってしまうのも仕方がありませんよね。
4.息子・煉獄杏寿郎への想い
先祖代々炎柱を排出している煉獄家の長男であり精神的にも能力的にも強く優れていた杏寿郎は槇寿郎から柱になるための訓練教育を施されていたと考えられます。
杏寿郎もその期待にしっかり応えてきたのでしょう。
しかし先ほど説明したような事態となって心が折れてしまった槇寿郎は杏寿郎への柱になるための教育どころか親としての義務すら放棄してしまったと考えられます。
それでも息子たちの心の炎が消えることはなく杏寿郎は熱心に修行を行い炭治郎は修行の傍ら槇寿郎の世話や家事を甲斐甲斐しく続けました。
槇寿郎がどんなにダメ親父に成り下がっても二人の息子は支えあって強く生きその信念が揺らぐことはなくあったのです。
瑠火の強さが見え隠れする息子たちを槇寿郎は眩しい思いで見つめさらに距離を置いていたのかもしれません。
どうせ努力は無駄になるという考えから自分と同じような挫折を息子に味わわせたくなかった可能性もあるでしょう。
槇寿郎は杏寿郎の死を聞いてもその態度を変えませんでした。
しかし槇寿郎の心を動かしたのは杏寿郎が死に際に炭治郎に託した父への伝言
でした。
恨言を言われたはずと思い込んでいた槇寿郎はその言葉を千寿郎から聞いて人知れず大粒の涙を流します。
曇り・淀み・暗闇の中をただもがくように生きていた槇寿郎の心は杏寿郎の言葉で開かれました。
それからの槇寿郎は二人の息子を誇りに思い以前のような生き方ができるようになります。
炭治郎への手紙の内容や最終決戦での産屋敷の護衛任務時の凛とした姿を見ても酒を断ち瑠火の願った
という言葉通りに生きたと考えられるでしょう。
最終決戦後に炭治郎をお見舞いに行った時にはとても朗らかな表情で千寿郎に手を引かれている場面が印象的でした。
槇寿郎はまさにダメ親父に成り下がっていたわけですが杏寿郎や千寿郎はそんな槇寿郎を見下さず父親への尊敬を失うこともありませんでした。
かつての槇寿郎がこの二人を育てたわけですからダメおやじ期間はあったものの本来の槇寿郎の姿がどれだけ二人にとって大きな存在だったかが分かりますよね。
煉獄槇寿郎は責任感と正義感の強さゆえに心が折れてしまったと考えられます。
ですが伊黒小芭内を救って鬼殺隊に入るまで稽古をつけていることなどから考えるとその面倒見の良さや優しさは杏寿郎と千寿郎に遺伝していると考えられます。
一時的にダメ親父になってしまいましたが槇寿郎が育てた息子達の姿を見れば本来の彼がどんなに素晴らしい人間だったかが想像できますよね。
最終決戦後も槇寿郎と千寿郎は二人で暮らしていくわけですが千寿郎には子孫が残されているのできっと幸せな毎日を過ごせたのではないでしょうか。
煉獄一家の絆に感動した!
槇寿郎と千寿郎には幸せに暮らして欲しい!と思った人はまた次の記事でお会いしましょう
今回は以上です。
■鬼滅の刃シリーズを無料で視聴したいならU-NEXTがおすすめ!