鬼滅の刃

【鬼滅の刃】柱になった順番を『煉獄杏寿郎外伝』から考察!

2023年9月13日

『鬼滅の刃』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

質問者
柱になった順番を教えてください。

こんにちはエンタメ考察室です。

全集中の呼吸を極めたことで十二鬼月とも対等に渡り合い鬼殺隊最強戦力とされている柱。

それぞれが特徴的な戦い方をする柱の戦闘は見ていてとても楽しいですよね。

特に上弦の鬼との戦いは過去の因縁などが絡むことで手に汗を握りました。

今回はそんな柱たちがどんな順番で柱になったのかを作中にちりばめられたヒントを元に考察していきたいと思います。

 
 
 

※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

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1.悲鳴嶼行冥

岩柱・悲鳴嶼は盲目の隊士であり年齢は最終決戦時点で27歳と件柱の中では最年長となっています。

伊之助が鬼殺隊最強と称したように上弦の鬼相手でも引けを取らない力強い戦いを見せてくれました。

最終決戦での無惨との死闘で負った怪我が原因でこの世を去っています。

悲鳴嶼行冥は今回紹介する柱の中でも最も早い時期に岩柱になったと考えられます。

耀哉の痣

理由の1つ目は悲鳴嶼と産屋敷耀哉の出会いの場面で彼が家の顔に「痣」のようなものがないことです。

悲鳴嶼は過去に無実の罪で人殺しとして投獄されていました。

そんな悲鳴嶼を救い出し

「君が人を守るために戦ったのだと私は知っているよ」

と伝え鬼殺隊へ誘う若かりし頃の彼が家の顔には呪いによる「痣」のような模様が全くありません。

他の柱のか愛想にも若かりし頃の耀哉が登場していますが呪いの影響が全く見られていないのは悲鳴嶼の回想だけでした。

つまり時系列的には悲鳴嶼が最も早い時期に鬼殺隊入りしたと考えられます。

悲鳴嶼行冥の登場

理由の2つ目は風柱・不死川実弥が柱になった頃の回想に悲鳴嶼が登場していることです。

この回想は上弦の壱・黒死牟との死闘の最中に挟まれた逸話で不死川が柱入りして初めての柱合会議の場面で当時すでに柱として参加している悲鳴嶼の姿があります。

つまり少なくとも悲鳴嶼は不死川よりも先に柱になっていたということになりますよね。

以上の2点から悲鳴嶼行冥は最も早い時期に柱入りしていると考えられます。

2.宇髄天元

音柱・宇髄天元は忍びの家系に生まれましたが厳しいくん年の末に兄弟が死んでいく様を目の当たりにし父親の人を人とも思わぬような言動に嫌気がさし忍びを抜けて鬼殺隊に入った経緯があります。

年齢は23歳であり柱の中では悲鳴嶼に次ぐ年長者と言えますね。

作中では上弦の陸・妓夫太郎との死闘で負った傷を理由に柱を引退しました。

宇髄天元は悲鳴嶼の次に柱になった可能性が高いと思われます。

耀哉の呪い

理由の1つ目は天元の回想に登場する産屋敷耀哉の呪いの進行度合いです。

この回想は上弦の陸・妓夫太郎との戦いの中で明かされたもので非情な世界に嫌気がさした天元が忍びを抜け鬼殺隊に入った後の出来事のようです。

この回想に登場した彼が家の顔の模様は左目に少しかかる程度まで進行しているように見えますよね。

つまりこの回想は悲鳴嶼の回想よりも後の話であることが伺えます。

理由の2つ目は悲鳴嶼と同じく不死川実弥が柱入りした際にすでに音柱として柱合会議に参加していることです。

この場面の天元は悲鳴嶼や胡蝶カナエと並んで座り

「いいご身分だなァおいテメェ」
「産屋敷様よォ」

と産屋敷耀哉に食って掛かる不死川の失礼な物言いにイライラしている様子が描写されています。

このことから天元は不死川よりも先に柱になったと言えるでしょう。

以上の2点から宇髄天元は悲鳴嶼の次に柱入りしたと考えられます。

3.胡蝶カナエ

花柱・胡蝶カナエは蟲柱・胡蝶しのぶの姉にあたる人物です。

物語開始時点ですでに故人となっているため作中では回想での登場のみとなっていました。

4年ほど前に上弦の鬼・童磨との戦いに敗れ17歳という若さで戦死しています。

仮に生きていれば冨岡・不死川・伊黒と同じ21歳でした。

胡蝶カナエは宇髄天元の次に柱になった可能性が高いと思われます。

理由の1つ目は悲鳴嶼行冥・宇髄天元と同様に不死川の回想に登場していることです。

産屋敷耀哉に

「隊員のことなんざァ」
「使い捨ての駒としか」
「思ってねェくせに」

と言い放つ不死川に対しカナエは

「お館様は投手になられてから」
「亡くなった隊員の名前と生い立ちは」
「全て記憶してらっしゃるのよ」

と諭していましたよね。

ちなみにこの会議には冨岡義勇も参加していますがカナエと義勇はどちらが先に柱入りしたのかがはっきりとしていません。

今回はあくまで予想としてカナエを先にしています。

どちらにせよカナエが不死川よりも早くに柱入りしていることはほぼ確実といえるのではないでしょうか。

カナエの亡くなった時期

理由の2つ目はカナエが約4年前に亡くなっているという事実です。

胡蝶カナエは17歳でこの世を去っており妹のしのぶは当時14歳だったことが単行本収録の大正コソコソ話で明かされました。

最終決戦時のしのぶが18歳ですので約4年前には亡くなっていることになりますよね。

つまりカナエはそれよりも前に柱になったと言えるでしょう。

以上の2点から胡蝶カナエは宇髄天元の次に柱入りしたと考えられます。

4.冨岡義勇

水柱・冨岡義勇は寡黙で言葉足らずな一面がある青年です。

作中冒頭で竈門兄弟と出会い鬼と人の新たな可能性を見出し鬼殺隊へと導きました。

年齢は21歳であり不死川や伊黒とは同年代ですね。

過去に親友を失った心の傷から自責の念が強かった義勇ですが水柱として最終形戦を戦い抜いたことで心の平穏を取り戻しつつあるような描写がされていましたね。

冨岡義勇と胡蝶カナエはどちらが先に柱になったのか微妙なところですが今回はカナエの次、不死川の前に柱になったとして考察していきたいと思います。

回想に義勇が登場している

理由の1つ目はこれまで紹介した3名と同様に不死川の過去の回想に義勇が登場していることです。

柱合会議で柱たちが並んで座っている場面に義勇らしき人物の後ろ姿が書かれていました。

顔が見えず台詞もありませんが特徴的な二色柄の羽織はほぼ間違いなく義勇でしょう。

このことから義勇が柱入りしたのは不死川よりも前ということになりますね。

胡蝶しのぶよりも先輩

理由の2つ目は外伝作品にて胡蝶しのぶよりも先輩であることが示唆されていることです。

冨岡義勇外伝で理由は倒した鬼とその家族の顛末に炒めるしのぶに

「忘れるな胡蝶」
「俺たちは"柱"だ」

との厳しい言葉を告げました。

これは柱になりたての胡蝶しのぶへ

「柱として任命された以上お互い頑張ろう」

という思いが込められた気遣いだったことが明かされています。

つまり理由はしのぶよりも先に柱入りしたという理由の一つになるのではないでしょうか。

以上の2点から義勇が柱入りした時期はカナエの次、不死川よりは先だと考えられます。

5.不死川実弥

風柱・不死川は実実は荒々しい性格の青年です。

誰に対しても攻撃的であり特に弟の玄弥に対しては強く当たることが多くありました。

しかしそんな態度の裏には大切な弟を鬼狩りの世界に巻き込みたくないという強い家族愛が隠されています。

年齢は義勇や伊黒と同じ21歳となっています。

作中では義勇とともに最終決戦を生きて戦い抜きました。

不死川実弥は冨岡義勇の次に柱になったと思われます。

耀哉の呪いの進行状況

理由の1つ目は産屋敷耀哉の呪いの進行状況です。

不死川が柱入りした際の柱合会議には耀哉も登場しています。

隊員を駒のようにしか見ていないと罵倒する不死川に対し

「ごめんね」

と謝っていましたよね。

この時の耀哉の顔の「痣」は左目を覆うくらいでした。

これは宇髄天元の回想の時よりもやや進行した状態といえるでしょう。

このことから少なくとも天元より後に柱入りしたことは確実なのではないでしょうか。

すでに4名柱になっている

理由の2つ目は不死川が柱入りした時点でこれまで紹介した4名が既に柱になっていた可能性が高いことです。

ここまでの4名の考察でも解説しましたが上弦の壱・黒死牟との戦いの中で想起された回想にて不死川が柱入りして初めての柱合会議の様子が描かれています。

この会議の場には悲鳴嶼・宇髄・カナエ・冨岡の4名が出席しており他の柱の姿は見られません。

つまり不死川はこれまで解説した4名の次に柱になった可能性が高いと言えますね。

以上の理由から不死川実弥は冨岡義勇の次に柱入りしたと考えられます。

6.胡蝶しのぶ

蟲柱・胡蝶しのぶは物腰の柔らかい女性です。

筋力が弱く柱の中で唯一鬼の頸を斬り落とすことができないと公言していますが代わりに毒を使った独自の戦闘方法で鬼を狩っていましたよね。

年齢は18歳と柱の中では比較的若い方ですが優しい口調や落ち着いた雰囲気からは年齢以上に大人びた印象を受ける人物と言えるでしょう。

姉の仇である上弦の弐・童磨に一矢報いてこの世を去りました。

胡蝶しのぶは不死川実弥の次に柱になった可能性が立ったいと考えられます。

カナエの死後に柱になっている

理由の1つ目はしのぶが姉・カナエの死後に柱になっていることです。

カナエが花柱として活躍している時期はしのぶはまだ柱入りしていません。

4年前に上弦の鬼・童磨との戦いでカナエが死亡したことをきっかけに蝶屋敷を継ぎ蟲柱に至りました。

不死川が柱になった時にはカナエはまだ生きていますのでしのぶが柱になったのは不死川よりも後ということになりますね。

しのぶが杏寿郎よりも先に柱入りしている

理由の2つ目は胡蝶しのぶが煉獄杏寿郎よりも先に柱入りしていることです。

煉獄杏寿郎外伝では煉獄が柱になる前の出来事が描かれています。

当時まだ一般隊士だった杏寿郎が父・槇寿郎の代わりに参加した柱合会議には当時の柱と並んでいるしのぶの姿がありました。

この時しのぶは杏寿郎に十二鬼月の討伐を命じる産屋敷耀哉に対し

「十二鬼月が相手であれば我々が向かうべきかと」

とし進言していましたよね。

ちなみにこの時の耀哉の呪いの進行は顔の半分くらいまで進行しています。

このことからしのぶは少なくとも煉獄よりも早い段階で柱になっていたと言えるでしょう。

以上の2点から胡蝶しのぶが柱入りした時期は不死川実弥の後、煉獄杏寿郎よりも先だと考えられます。

7.煉獄杏寿郎

炎柱・煉獄杏寿郎は常に前向きで一本気な性格をした青年です。

無限列車編では柱としての高い実力や鬼殺隊としての生き方を身をもって炭治郎たちに伝えていましたよね。

下弦の壱・魘夢から列車の乗客を守り抜きましたがその後、現れた上弦の参・猗窩座との戦いいで20歳という若さでこの世を去りました。

煉獄杏寿郎は胡蝶しのぶの次に柱になったと思われます。

理由の1つ目は煉獄杏寿郎外伝で描かれた柱合会議に参加している柱の面々です。

この時に登場した柱は悲鳴嶼・宇髄・冨岡・不死川そして胡蝶しのぶの5名でした。

会議に出席した杏寿郎に対し不死川が

「なぜ柱でもない隊士がここにいるのか」

と絡んでいましたよね。

この時に命じられた十二鬼月を討伐したことで杏寿郎は炎柱に昇格しました。

このことから煉獄杏寿郎が胡蝶しのぶよりも後に柱になったことがわかります。

甘露寺蜜璃との関係

理由の2つ目は杏寿郎と甘露寺蜜璃の関係性です。

杏寿郎と甘露寺は師弟関係にあることが公式ファンブックで明らかにされました。

また煉獄杏寿郎外伝の冒頭でも杏寿郎は甘露寺を指導していましたよね。

公式ファンブックによると甘露寺は杏寿郎の継子であるとされています。

継子とは各柱の直轄で腕を磨く隊士を指す言葉ですので杏寿郎が炎柱になった後も引き続き支持していたと思われます。

このことから杏寿郎は甘露寺よりも先に柱になったことはほぼ確実といえるでしょう。

以上の2点から煉獄杏寿郎が柱入りした時期は胡蝶しのぶの次であると推察できます。

8.伊黒小芭内

蛇柱・伊黒小芭内は左右の目の色が違うオッドアイとしゅうよう執拗な性格が特徴の青年です。

相棒であるヘビの鏑丸は戦闘の手助けもこなします。

年齢は21歳で義勇や不死川と同い年ですね。

恋柱・甘露寺蜜璃に惚れており文通をしたり靴下を贈ったりと人知れず言い寄っていたことが分かっています。

最後は甘露寺に思いの丈を伝え来世で結ばれる約束を交わしながら戦死しました。

伊黒小芭内は煉獄杏寿郎の次に柱になったと考えられます。

柱合会議にいない

理由の1つ目は煉獄杏寿郎外伝の柱合会議に伊黒小芭内の姿がないことです。

つまり伊黒は杏寿郎よりも遅い時期に柱入りしたと考えられますね。

伊黒との甘露寺の馴れ初め

理由の2つ目は伊黒と甘露寺の馴れ初めです。

二人の出会いは産屋敷の館で道に迷った甘露寺を伊黒が助けたことがきっかけです。

これは無惨との戦いで重傷を負った二人が死の間際に初めて出会った時の思い出を語っていましたよね。

状況から推察すると柱になりたてで産屋敷の館に慣れていない甘露寺を柱として何度か訪れた経験のある伊黒が道案内したと考えるのが自然にを思えます。

このことから伊黒は甘露寺よりも先に柱になっていた可能性が高いと言えるでしょう。

以上の2点から伊黒小芭内が柱入りした時期は煉獄杏寿郎の次であると考えられます。

9.甘露寺蜜璃

恋柱・甘露寺蜜璃は常に明るく元気な女の子です。

細身に見える体には常人の8倍もの密度の筋肉が付いており人並外れた力を持っています。

年齢は19歳と若いですが鬼殺隊には一生を添い遂げる相手を見つけるために入隊したと発言するほど結婚願望が強い女性と言えるでしょう。

伊黒とは両想いであり最後はお互いに気持ちを伝え合いながらこの世を去りました。

甘露寺蜜璃は伊黒小芭内よりも後に柱になったと考えられます。

甘露寺は煉獄の弟子であった

理由の1つ目は煉獄杏寿郎が柱になった時点で甘露寺はまだ柱入りしていないことです。

煉獄杏寿郎外伝では杏寿郎が一般の隊士から柱に至るまでの物語を描いており甘露寺も杏寿郎の弟子として登場しました。

外伝の冒頭で杏寿郎は甘露寺に鬼殺隊士になったお祝いとして隊服を贈っています。

つまりこの時点で甘露寺は鬼殺隊に入ってからそれほど時間が経っていないということになりますよね。

甘露寺の階級についても一番低い「癸(みずのと)」であると説明されていました。

このことから甘露寺は杏寿郎よりも後に柱になったと言えるでしょう。

伊黒との馴れ初め

理由の2つ目は伊黒との馴れ初めです。

伊黒の紹介でも触れましたが恋愛の状況を想像すると伊黒が先に柱になっていると考えた方が自然ですよね。

以上の2点から甘露寺が柱入りした時期は伊黒小芭内の次であると考えられます。

10.時透無一郎

霞柱・時透無一郎は冷ややかな表情が特徴の少年です。

年齢は14歳で現柱では最年少と言えます。

早くても2年はかかると言われている柱に刀を握ってからわずか2か月で上り詰めたまさに天才剣士と言えるでしょう。

現柱で初めて「痣」を発言したり上弦の伍・玉壺を単独で討伐したりと天才の名に恥じない活躍を見せてくれました。

最後は上弦の壱・黒死牟との戦いで命を落としました。

時透無一郎は甘露寺の次に柱になったと思われます。

柱合会議にいなかった

理由の1つ目は煉獄杏寿郎外伝の柱合会議に時透の姿がないことです。

伊黒や甘露寺と同様にこの時点で柱として会議に参加していないということは伊黒が柱になったのは杏寿郎よりも後ということになりますよね。

時透の年齢

理由の2つ目は時透の年齢です。

時透は柱の中で最年少の14歳です。

これは一番年が近い胡蝶しのぶと4歳差柱に入った時期が近いと思われる甘露寺とは5歳差伊黒とは7歳差です。

必ずしも年齢通りに柱になるわけではありませんがさすがに若すぎるのではないでしょうか。

作中で時透は11歳で鬼殺隊に拾われたこと刀を握って2ヶ月で柱入りしたことが明かされています。

この刀を握るという部分が生まれて初めて刀を握った時を指すのか最終選別を突破し日輪刀を手に入れた時を指すのかが定かではありません。

もし修業時代を含めて2ヶ月で柱になったのだとしたらたった2ヶ月の間に全集中の呼吸を完全に習得し最終選別を突破した後、甲まで昇格し人間社会に潜む鬼を50体もしくは十二鬼月を1体以上倒したということになりますよね。

いくら天才と言えど無理があるように思います。

なので鬼殺隊隊士になって日輪刀をもらってから2ヶ月で柱になった可能性が高いです。

時透にもある程度の修業期間があったと仮定すると兄・雄一郎の死をきっかけに11歳で鬼殺隊に拾われ修業期間を経て鬼殺隊に入隊し日輪刀が完成するまでの期間など諸々の事情を踏まえると現柱では最も遅い時期に柱入りしたと考えるのが妥当ではないでしょうか。

以上の2点から時透無一郎は甘露寺蜜璃の次に柱入りしたと思われます。

ただ刀鍛冶の里で上弦の伍・玉壺との戦いを制した時透の回想では恐らく柱になりたての時透に対して杏寿郎が

「柱として共に頑張ろう」

と肩を叩いていましたよね。

これだけならば単に先輩として新しく入った後輩に声をかけてあげただけと言えますが杏寿郎もまた煉獄杏寿郎外伝の終末で同じ場面を想起しています。

炭治郎が那田蜘蛛山で見た走馬灯ととてもよく似た表現の仕方がされていることからこの場面もまた杏寿郎が見た走馬灯の可能性がありますよね。

仮に走馬灯だとするならば杏寿郎にとって時透の柱入りは何か特別な思い入れがあったと言えるのではないでしょうか

例えば柱として初めてできた後輩が時透であり当時の嬉しい気持ちが走馬灯で蘇った可能性は十分にあると思います。

このように時透と杏寿郎の関係性という観点から見ると時透は杏寿郎の次、伊黒や甘露寺より先に柱入りしていたと考察してみました。

まとめ

それぞれが複雑な事情や壮絶な過去を持っている柱。

冨岡義勇や煉獄杏寿郎、胡蝶しのぶなどは外伝や小説で過去が明かされていますがまだまだ謎に包まれた柱も多いですので今後明らかにされることに期待したいですね。

柱の顔ぶれが豪華すぎる!

誰にも死んでほしくなかったと思った人はまた次の記事でお会いしましょう。

今回は以上です。

 

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