こんにちはエンタメ考察室です。
作中でも数少ない敵から味方になった呪いでありおもしろお兄ちゃんとして親しまれている人物といえば脹相ですよね。
初期はシリアスな印象があった脹相ですが虎杖と出会ってからは必死にお兄ちゃんアピールをする熱血漢というイメージの方が強いのではないでしょうか。
ある意味呪術廻戦の中で最もギャップのある登場人物と言えるかも知れません。
今回はそんな脹相について解説していきたいと思います。
また九十九由基との会話で涙ながらに語った理由や虎杖との意外な対比関係についても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。
脹相
脹相は二つに結んだ特徴的な髪型が特徴的な青年で呪胎九相図の一つが受肉した姿です。
受胎九相図とは「史上最悪の呪術師」と呼ばれる加茂憲倫が実験的に作り出した九つある呪物の総称です。
明治の初め頃加茂は呪霊の子を孕む特異体質を持つ一人の女性に出会いました。
人と呪霊の新たな可能性を模索していた加茂憲倫は特異体質を持つ女性を利用して呪霊と人間の子を生み出します。
この時に生まれた呪霊と人間のハーフが後に受胎九相図と呼ばれる存在です。
受胎九相図は9人兄弟であり脹相はその1番つまり長男という立ち位置でしたよね。
ちなみに加茂憲倫は羂索が体を乗っ取った人物のうちの一人です。
とても兄弟愛が強く弟を馬鹿にしたり危害を加えたりした者には激しい怒りを向ける姿がありました。
血塗は俺の為に
俺は壊相の為に生きる」
という言葉からも分かるように兄弟同士の絆を何よりも大切にしています。
兄としての振る舞いには並々ならぬこだわりを持っており作中では出来が良かろうと悪かろうと兄は弟の見本になるという信条を明かしていましたよね。
また弟を助けるためならばたとえ自らが危険に晒されようとも意に介さない心の強さも持ち合わせています。
もともとは高専が管理する忌庫に収められていましたが京都校との交流会の騒ぎに乗じて真人によって盗み出され弟の壊相、血塗と共に受肉する運びとなります。
受肉後は羂索たちに協力する形で行動を共にしていました。
高専の忌庫から残りの九相図を奪還することを当初の目的としていましたが八十八橋の戦いで壊相と血塗を殺されたことで二人の仇を討つため虎杖の前に立ちはだかりました。
しかし戦いの中で虎杖と自身が本当の兄弟として過ごす
を見たことで虎杖もまた血を分けた弟であると確信します。
脹相は後述する術式の影響で血の繋がった弟たちの気配を感知する力があります。
危機的状況の有無や生死まで把握することができ特に弟が死亡した際はどれほど遠くにいても感じ取れるようです。
恐らく虎杖との「存在しない記憶」は脹相の感知能力に起因するものだったのではないでしょうか。
虎杖の存在そして羂索の正体が憎き父・加茂憲倫であることを思い出したことで以降は虎杖を守るために高専側の味方として戦うことになりました。
原作60話の脹相は登場初期は頭に包帯を巻いていましたよね。
恐らく自身の正体がバレないよう羂索が脳をいじったため加茂憲倫であると見抜けなかったのではないでしょうか。
死滅回遊では天元の護衛として羂索と対峙しました。
これは「羂索の目的」そして「獄門疆の解き方」を教える代わりに乙骨優太・九十九由基・脹相のうち誰か二人が天元の護衛に付くよう交換条件を提示されたためでしたよね。
虎杖のために高専側に寝返った脹相ですが羂索に弄ばれた結果、命を散らした母と兄弟のためそして何より虎杖の未来のためには羂索の打倒が必須と判断した結果自ら護衛に名乗りを上げました。
これにより虎杖とは別行動を取ることになります。
別れ際、虎杖から
と告げられると脹相は笑みを浮かべながら
と返します。
しかし虎杖が去った瞬間感極まった様子で涙を抑える姿がありました。
詳しくは後ほど触れますが脹相はそれまで虎杖という弟の存在に気づくことができず助けになれなかったという思いがあったのでしょう。
そんな虎杖に感謝の言葉をもらったことで
と感極まってしまったのではないでしょうか。
羂索との戦いでは複数あるとされる彼の術式を少しでもさらけ出し後に控える九十九へと繋げられるようあえて楽しんで迎え撃ちました。
劣勢を強いられる脹相でしたが弟たちを侮辱した羂索への怒りそして兄弟愛を原動力に猛攻を繰り出します。
そしてついに羂索にこれまで見せたことのない術式を使わせることに成功し続く九十九のへと繋げる役割を全うしました。
九十九と協力し羂索をあと一歩のところまで追い詰めましたが最終的には形勢を逆転されてしまいます。
命を捨てる覚悟で羂索に攻撃を放とうとした脹相ですがその瞬間天元によって結界から弾き出されたことで生き残り五条の封印を解く特級呪物「獄門疆・裏」を虎杖に届ける役目を担いました。
そんな脹相の生得術式である赤血操術は文字通り血液を操ることができます。
御三家の一つである加茂家が継承する術式でもあり京都校三年の加茂憲紀も同じ術式を使っていましたよね。
人間と呪霊のハーフである脹相は通常の人間にはない特殊体質の持ち主です。
赤血操術が血液を使用する以上避けて通れないのが血液不足ですよね。
物理的に攻撃手段が無くなるだけでなく体内の血液が減ることは死の危険性を高めます。
実際、憲紀は事前に血液パックを用意するなどの工夫をしていました。
しかし脹相は呪力を血液に変換できることから事実上血液不足が起こりません。
そのため普通の人間では実現不可能なほど大量の血液を使用しながら戦い続けることができるのです。
加えて脹相の血液は生物に対して猛毒として作用します。
その威力は凄まじく仮に致命傷を避けたとしても体内に脹相の血液が侵入してしまえばその時点で普通の人間は戦闘不能に陥ってしまうほどです。
作中では特別一級術師である禪院直哉ですら嘔吐し立ち上がることが出来なくなっていましたよね。
こうした特殊体質により脹相は血液不足を加味しない攻撃が可能な上に毒まで付与できるという特殊な人物になりました。
同じ術式でも憲紀のそれとは一線を画す汎用性と威力を備えていると言えるでしょう。
血液の操作は単純に血液を武器に変えて戦ったりレーザービームのように射出したりといった攻撃技だけでなく血液の凝固による防御力の向上、止血、相手の体の拘束といった実に多彩な運用が可能です。
弱点としては前述した血液不足のほかに周囲に大量の水がある状況下では血中成分が薄まってしまうため本来の力を発揮できません。
ただ脹相の場合は体内で呪力を血液へと変換できるため普通の人間よりもこれらの危険性が致命的にはなりにくいと考えられます。
赤血操術の基本的な技として百歛が挙げられます。
百歛とは両手を合わせ手の中で血液を球状に凝縮する技術です。
次に解説する強力な技を放つためには必須の技術と言えるでしょう。
百歛から繋げられる技の一つが穿血です。
穿血は百歛で圧縮した血液を一定から射出する技でウォーターカッターのように高速で打ち出される血液は凄まじい貫通力を誇ります。
速度と破壊力においては脹相が使う技の中でも上位に位置するのではないでしょうか。
特に初速は音速をも超えるとされており初見での回避は至難の技と言えるでしょう。
さらに脹相の場合、穿血を放ったまま腕を振るうことで周囲を薙ぎ払うように広範囲を攻撃し続ける荒業も見せています。
事実上血液不足が起こらない脹相ならではの戦い方かも知れませんね。
一方で音速を超えるのはあくまで初速のみであり撃ち始めを避けられてしまえば一気に距離を詰められる可能性があるという弱点も存在します。
また脹相独自の技として超新星があります。
超新星は百歛で圧縮した血液を全方位散弾のように爆散させる広範囲攻撃です。
一撃の威力で言えば穿血に及ばないものの攻撃範囲の広さ目くらましにも使える汎用性の高さからとても使い勝手の良い拡張術式と言えるでしょう。
先ほども解説したように脹相の血液には毒性がありますので少しでも爆発に巻き込まれてしまえばたちまち毒が回りやがては死に至ります。
脹相は百歛を複数蓄積できるので連続での発動や後方への対処など様々な場面で活躍できる技ではないでしょうか。
ここで上げているのはあくまで一例であり脹相はこれらを応用して多彩な技を繰り出します。
血液切れがないため通常の赤血操術よりも幅広い使い方が可能となります。
羂索との戦いの中で脹相が九十九のと交わしたやり取りを想起する場面がありました。
ここで脹相は
なんであの時俺は…なんで…楽な道を選んだ
これ以上悠仁とは生きられない」
と悲観的な言葉をこぼすとともに涙していました。
なぜ脹相はせっかく会えたもう一人の弟と一緒に生きていけないと考えたのでしょうか。
脹相の後悔として
という点が挙げられます。
呪霊と人間のハーフである九相図はある意味人間でもあり呪いでもある存在ですよね。
弟たちが受肉した時思ったんだ
異形の肉体を持つ弟たちを人は受け入れられないと」
という台詞からも分かるように比較的人間に近い外見の脹相はともかく明らかに人間とは違う姿をした壊相・血塗は人間として生きることは限りなく困難だと判断したのでしょう。
2番の壊相は背中だけ3番の血塗は全身が人と異なる姿をしていました。
こうした点から受胎九相図の元ネタは仏教絵画の「九相図」だと言われています。
「九相図」は屋外に打ち捨てられた人の死体が朽ちていく過程を9段階に分けて描かれたものです。
恐らく「九相図」と同様に受胎九相図も番号が増えるにつれて崩れた肉体になると予想できますよね。
「漫道コバヤシ」で芥見先生により受胎九相図の1~3番は母親が元気な頃に生まれたため生きていたことが明かされました。
4番以降はもともと死んでいるようなものなので出す予定はないそうです。
弟の幸せを何よりも願う脹相は弟たちが苦しむ様を見たくはなかったのだと思います。
しかし弟のためを思って選んだはずの「呪いとしての道」が結果的にはもう一人の弟である虎杖との殺し合いに繋がってしまいました。
脹相は自らの選択がこうした結果を招いたのだと感じていたのではないでしょうか。
加えて「弟のため」という理由を言い訳にして自分が傷つかない道を選んでしまったことを後悔していたのだと思います。
こうした後悔の念を感じるきっかけになったのが虎杖です。
呪いとして生きる選択をした脹相たちとは逆に虎杖は宿儺の器になっても「人間らしさ」を捨てることはありませんでした。
自分が楽な道を選んだことでもう一人の弟である虎杖だけを「人間」として孤立させ苦しませる結果になってしまった脹相はそう考えたのではないでしょうか。
一方で仮にこの時点で人間として生きる選択をしていた場合保守的で頭の固い呪術総監部は壊相と血塗を認めなかったと考えられます。
これは宿儺を宿した虎杖や里香を持つ乙骨に秘匿死刑を言い渡していることからも分かりますよね。
九相図は宿儺と同じ特級呪物ですのでとても総監部が受け入れていたとは思えません。
脹相は後悔していましたが少なくともこの時点での兄としての選択は決して間違ってはいなかったのではないでしょうか。
孤立した虎杖を支えるのであればこれから共に生きれば良いと思いますよね。
しかし脹相には安易にその選択ができない大きな理由がありました。
それが呪いとして大勢の人間を殺してしまったことです。
渋谷での五条悟との戦いで脹相は漏瑚 たちの補助役として無関係な一般人を殺戮 しています。
を貫く虎杖と共に生きるには脹相は呪いとしての罪を重ねすぎました。
そんな自分が虎杖の隣に立つ資格などない脹相はそう考えていたのではないでしょうか。
だからこそ脹相は
と涙を流しながら語ったのだと思います。
実際脹相は死に場所を求めていた節があります。
九十九とともに挑んだ羂索との戦いで脹相は
俺の命の使いどころは」
と発言していましたよね。
呪いとして大勢の人々を殺めてしまった罪はせめて全ての元凶である羂索を倒すことでしか償えないと考えたのだと思います。
何度も九十九から
と言われても頑なに尖兵としての役割を譲らなかったのも羂索を倒すために自らの命を捧げる覚悟が決まっていたからでしょう。
こうした脹相の心境を踏まえると薨星宮で虎杖と別れた時点ですでに脹相は死ぬつもりだったと推察できます。
立ち去る弟に
と穏やかな笑みを向けていたのはこれが今生の別れになると悟っていたからではないでしょうか。
脹相は自分が死のうとしていることを虎杖に知られたくなかったのかかも知れません。
何の見返りも求めずただ純粋に弟に幸せになってほしいそんな気持ちだったと考えられますよね。
結果的に脹相は生き延びましたがその背景には九十九の思いがありました。
先ほども解説したように脹相は天元の手によって羂索と戦っていた結果から弾き出されたことで死を回避しています。
これは恐らく天元だけの意志ではなく九十九の願いでもあったのではないでしょうか。
自身が結界から出されることを悟り困惑する脹相に対し九十九は
生きろ今度は"人"として」
と告げています。
人を殺めた脹相にとって人間として生きるということはその罪を背負って生きていくということですよね。
つまり九十九の
は
今度こそ弟とともに苦しみと向き合え」
というとても厳しい意味が込められているのだと考えられます。
自らの選択が人として生きる虎杖を苦しめた結果を悔い、弟の未来のために命を捨てようとしていた脹相に対し九十九は
「君が死んだらまた彼は独りだろう」
と繰り返し問いかけています。
九十九が脹相を呪いとして見ていた場合わざわざこのような質問をするでしょうか。
遊ぶように人を殺す真人や人々を五条の力を削ぐための駒としてしか見ていなかった漏瑚のように人を殺めたことを後悔する呪いはいません。
自らの罪を悔いる脹相を見て九十九は彼を一人の人間として認めていたのでしょう。
だからこそ九十九は脹相に「生きろ」と伝えたのだと思います。
呪術廻戦は当初普通の人間だった青年が宿儺の器つまり呪いとして生きることを宿命づけられる苦悩を描いた物語だと考えられていましたよね。
ただここまで解説してきた脹相の苦しみを踏まえると本当の苦しみとは呪いとして生きる楽な道を選ばず人として生き続けることなのかも知れません。
実際作中を通して虎杖は「人」としての存在理由を求めていますよね。
宿儺の器として秘匿死刑を言い渡された虎杖は自身が
「人間にとっての脅威ではない」
ということを証明し続けなくてはなりません。
苦しみもがきながらも決して宿儺に身を委ねる選択はせず虎杖悠仁としてあり続けようとしています。
脹相もまた過去の罪と向き合うことで虎杖と同じ立場に立てるようになったのではないでしょうか。
羂索側に付き呪いとして生きる決断をした際、脹相は兄弟たちに
と告げていましたよね。
先ほども触れたようにこれは人として生きることが困難な偉業の姿を持つ弟たちを孤立させないため比較的人間に近い姿を持った脹相も含めて一蓮托生だということの宣言だったのでしょう。
しかし虎杖と出会い自らの決断が誤りだったと自覚した脹相が辿り着いたのは
という答えでした。
安易に呪いとしての人生を選択したことへの後悔と虎杖を壊相や血塗と同等に扱う脹相の思いが伝わってくる台詞ではないでしょうか。
呪いから人へと生きる道を変えた脹相ですが皮肉にも弟の虎杖は呪いとしてできる選択をしています。
伏黒に受肉した宿儺との戦いで
生涯噛み潰していればいいのだ」
と語る宿儺に対し虎杖は
と返しています。
この時不幸の文字には「おれ」というルビが振られていましたよね。
これは虎杖が宿儺にとっての不幸つまり「呪い」になるという旨の宣言だったと受け取れます。
宿儺に逃げられた後虎は家入から自身が宿儺という呪力に浸された呪術みたいな存在であることを聞かされています。
加えて
という意味深な発言もしていますよね。
こうした様子からそれまで宿儺を宿しながらも人間として生きようともがいていた虎杖が宿儺を倒すために身も心も呪いに染まりつつあることが伺えます。
奇しくも脹相が人として生きる決断をして間もなくの出来事でした。
つまり虎杖が宿儺という呪いを宿しながらも人の道を歩んでいた時、脹相は他人に不幸を振りまく呪いとして生きており逆に脹相が罪と向き合う人として生きる選択をした直後虎杖は宿儺にとっての呪いになる決断をしていたことになります。
生き方がすれ違ってしまった兄弟ですがぜひ脹相には「人」として弟を幸せな方向へと導いてもらいたいですね。
まとめ
虎杖たちとは敵対する存在として登場し渋谷では実際に多くの人間を手にかけた脹相人と呪霊は相容れない存在ということが当たり前のようになっている作中では数少ない人間側に寝返った呪いと言えるでしょう。
そしてその背景には弟を守りたいという誰よりも人間らしい感情がありました。
脹相には最後までお兄ちゃんを遂行してほしいですよね。
呪術廻戦で一番脹相が好き!
お兄ちゃんには死んでほしくない!
と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。
今回は以上です。