鬼滅の刃

【鬼滅の刃】過去が悲しすぎた「上弦の鬼」の人間時代の共通点を考察!

『鬼滅の刃』(C)吾峠呼世晴/集英社・アニプレックス・ufotable

質問者
上弦の鬼の人間時代の共通点があれば教えてください。

こんにちはエンタメ考察室です。

炭治郎たち鬼殺隊と激闘を繰り広げた最強の鬼といえば上弦の鬼ですよね。

猗窩座の技に婚約者との思い出が反映されていたり、
妓夫太郎・堕姫が人間時代に交わした

「ずっと一緒だ離れない」

という約束が強い意志となり鬼なっても二人一組という特性に繋がったり、

と彼らの外見や言動にはかつて人間だった頃の記憶や未練といった強い想いが影響していることが多くあります。

今回はそんな上弦の鬼の過去について解説していきたいと思います。

またそれぞれが鬼になった経緯や人間時代の記憶がどのような影響を及ぼしているのかについても考察しているのでぜひ最後までお楽しみください。

上弦の鬼の人間時代の共通点は以下のように考察してみました。

共通点

・上弦の鬼は一見すると理解しがたい鬼の外見や言動にも人間時代の未練や強い想いが反映されている。
・実は全員が自分にないものを持っている存在あるいは苛立いらだたしく思っている存在に倒されている。

では詳しく考察していきましょう。

 
 
 

※当記事はネタバレを含みますのでご注意ください。

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1.上弦の壱・黒死牟

黒死牟は六つの目が特徴的な鬼で最終決戦では岩柱・風柱・霞柱さらに鬼喰いで鬼の力を使うことができる不死川玄弥と壮絶な戦いを繰り広げました。

人間時代の名は「継国巌勝」と言います。

「日の呼吸」を生み出した始まりの剣士・継国縁壱の双子の兄にあたります。

双子は不吉な存在とされており兄の巌勝は優遇され弟の縁壱は「忌み子」として蔑まれ物置のような狭い部屋での生活を強いられていました。

はじめはそんな弟の境遇に同情していた巌勝ですが縁壱に類まれなる剣の才能があることを知ると一転、激しい嫉妬と嫌悪感を持つようになっていきます。

やがて剣士として鬼狩りの道へ進み強大な力を得る代わりに寿命が縮む「痣者」となったことで余命わずかの身となった時に無惨と出会い鬼なることを選びました。

そんな黒死牟の特徴の一つとして六つの目が挙げられます。

これは弟・縁壱の人間離れした動きを見切りたかったためだと考えられます。

これを裏付けるかのように刀鍛冶の里で登場した縁壱を模範に作られた絡繰り・縁壱零式には腕が六本付いていました。

作中では小鉄は

「腕を六本にしなければ
その剣士の動きを再現できなかったから」

と説明しています。

つまり腕を六本にしなければ再現できないほど素早い動きを見切るために黒死牟は六つの目を手に入れたと考えられます。

また黒死牟は作中でたびたび縁壱の感性を否定していましたが死の間際に

「私はただ縁壱
お前になりたかったのだ」

と告白してより憧れの対象でもあったことが明かされています。

黒死牟の六つの目には縁壱が見ていた世界を見たかったという気持ちが込められているのかもしれませんね。

妓夫太郎と堕姫が討伐された際、無惨は

「人間の部分を多く残していた者から
負けていく」

と発言しています。

しかし上弦の中でも最強の部類に入る黒死牟は妓夫太郎たちよりも鮮明に人間時代の記憶を持っており巌勝としての人格を保ったまま鬼になっているように思えます。

さらに人間の頃から一貫して「侍」であることに拘り続けていました。

そういった意味では黒死牟はどの上弦よりも人間の部分を多く残していたと言えます。

一見すると無惨の発言と矛盾するようにも思えますが仮に黒死牟が人間時代からすでに鬼と同等の精神状態だったとしたらどうでしょうか。

天才と呼ばれる弟に劣等感を抱いていたとはいえ縁壱と同じ鬼狩りになるために家や妻子を捨て最終的には人の身まで捨てています。

また戦国コソコソ噂話によると巌勝はこの時代のお館様の父・先代のお館様を殺して頸を持って無惨のもとへ行ったそうです。

そもそも鬼狩りになったのも鬼への恨みや弱者を守りたいといった理由ではなく縁壱の強さと剣技を自分のものにするためでした。

こうした異常ともいえる行動の数々はまさに鬼特有の執着心に基づいた行動にそっくりですよね。

つまり黒死牟の心は人間時代からすでに鬼そのものでありその上で鬼の肉体を得たことが人間時代の記憶や人格を保っている理由なのではないでしょうか。

また黒死牟は猗窩座が童磨を攻撃した際に

「序列の乱れひいては
従属関係にひびが入っいることをうれいているのだ」

と警告していました。

これは幼少期に弟・縁壱に跡取りの座を奪われかけた経験から序列を重んじるようになったと考えられます。

2.上弦の弐・童磨

童磨は貼り付けたような笑顔が特徴的な鬼です。

冷気を自在に操る血鬼術を使用し最終決戦では蟲柱・胡蝶しのぶと激闘を繰り広げ最終的にカナヲ・伊之助によって討伐されました。

人間時代の名前は不明ですが

「万世極楽教」

という宗教と営む家庭に生まれ瞳の中に虹が輝き、さらに白橡色しろつるばみいろの頭髪という珍しい外見を持っていたことから

「神の声が聞こえる特別な子供」

としてたたえられていました。

当の本人は実在しない神にすがる人間を愚かで可哀想な生き物と哀れみ涙を流していたそうです。

幼い頃から人間らしい感情を持ち合わせておらず母親が色狂いの父親を滅多刺めったさしにして殺害し目の前で服毒自殺した際も

「部屋を汚さないでほしい」

と感じ血の臭いが臭かったため

「早く喚起しなきゃ」

と考えていました。

公式ファンブック・弐によれば童磨は二十歳の時に無惨と出会ったことで鬼にしてもらい以降の「万世極楽教」の神は無惨となっています。

「蓮葉氷」「散り蓮華」など童磨の血鬼術の名前には「蓮」が多く具現化した氷もハスの形状をしていましたよね。

そもそも「万世極楽教」の名前は不安や心配ごとのない世界を指す仏教用語「極楽浄土」からきているものと思われます。

「極楽浄土」には蓮の花が咲いていると言われており「万世極楽教」でも至る所に蓮の花が飾られていましたよね。

幼少期から神の子として生きてきた童磨にとって「万世極楽教」こそが人生そのものだったのではないでしょうか。

一方で童磨は極楽浄土はおろか神も仏も信じていないことが明かされています。

しかし童磨の血鬼術の中でも最大規模と思われる技

「霧氷・睡蓮菩薩」

はその名の通り菩薩像を模した技でした。

これは人間時代から神や仏を一切信じず

「目的を達成するための道具」

として扱ってきた童磨の心理を表しているのではないでしょうか。

ただ形を真似るだけではなく信仰の対象であるはずの仏像を戦わせていることからも童磨がいかに神仏への興味がないかが分かります。

また童磨は他の上弦と比べても外見が人間に近く人間時代からほとんど見た目が変わっていません。

鬼は人間時代の記憶や未練、執着といった思いが外見に反映されていますよね。

つまり童磨には外見を変えるほどの思いも執着も無かったのではないでしょうか。

両親の死にすら無感情だった童磨ですので目の前で起きる全ての物事が無価値に感じていたのかも知れません。

感情がないと言われる童磨ですが作中では感情の機微とも取れる描写がいくつか存在しています。

例えば感情がないことをカナヲに指摘された際にはそれまでの貼り付けたような笑みから一変して真顔になり

「不快」

ともとれる感情を露わにしました。

また伊之助の母子・琴葉に対しても

「君のお母さんのことはね
喰うつもりなかったんだよ
心の綺麗な人が傍にいると心地いいだろう」

と発言したり死の間際には蟲柱・胡蝶しのぶに対して恋心とも思える感情を抱いています。

こうした姿から童磨は感情がないわけではなく感情の振れ幅が人より小さいために自分自身でも認識できていないだけなのではないでしょうか。

しのぶに恋をしたのはしのぶが童磨に対して強い感情を向けてくれたからだと思われます。

幼い頃から「神の子」としてしか自分を見てもらえなかった童磨にとって、たとえ憎悪の感情とは言えしのぶは初めて童磨自身を見てくれた人だったと言えるでしょう。

また童磨は感情が揺れ動くような場面で一拍置くような姿があります。

これは自身の中に感情が存在するのかを探っているのではないでしょうか。

もしかしたら童磨自身の奥底では感情がないことに焦りを感じていたのかもしれません。

高公式ファンブックでは強い執着や渇望がない者は鬼として大きな進化をしないという考えから無惨は童磨にそれほど関心がなかったことが明かされています。

童磨自身も崇拝する無惨が自分を見ていないことに気づいており自分に足りないものつまり感情の振れ幅が大きい人を羨ましく感じていたとしても不思議ではありませんよね。

だからこそ感情表現が豊かな琴葉がお気に入りだったのかもしれません。
 

3.上弦の参・猗窩座

猗窩座は桃色の頭髪が特徴的な鬼で肉弾戦を得意とし上弦の鬼の中で最も武闘派と言えます。

無限列車編では炎柱・煉獄杏寿郎と戦い無限城では炭治郎と水柱・冨岡義勇と対峙しました。

「弱者が嫌い」

と何度も発言しており異常なまでに強さへの拘りを持っています。

人間時代の名前は狛治と言い病弱な父のために掏摸スリなどで日銭を稼いでいました。

我が子が自分のために罪を重ねる姿に心を痛めた父親は自殺し心の拠り所を失った狛治は自暴自棄になってしまいます。

そんな時に出合ったのが素流武術の師範・慶蔵でした。

慶蔵に拾われた狛治は慶蔵の娘・恋雪こゆきと恋仲になり夜空を彩る花火の下で夫婦の契りを交わしました。

幸せな未来を歩むはずだった狛治たちですが恋雪を好いていた隣の道場の跡取りによって慶蔵と恋雪の二人は毒殺されてしまうのでした。

大切な人を失ったことで自暴自棄になった狛治は隣の道場の門下生たちを惨殺します。

噂を聞きつけてやってきた無惨と遭遇し鬼となりました。

猗窩座には鬼になってからも人間時代の出来事や思いの影響が見られています。

外見で言えば全身に刻まれた青い線のような模様です。

これは猗窩座が父親に薬を届けるために罪を犯し捕まったことで刻まれた入れ墨の名残ではないでしょうか。

また紅梅色の頭髪は恋仲だった恋雪が着ていた着物の色によく似ていますよね。

人間時代は黒髪でしたので鬼になる時に無意識のうちに恋雪を思い浮かべていたのかもしれません。

強さを求め弱者を嫌悪する性格についても父親や慶蔵・恋雪といった大切な人の命が失われたことを自分の弱さのせいだと感じているためではないでしょうか。

最終決戦で恋雪の幻影と再会した猗窩座は

「守れなくてごめん
大事な時そばにいなくてごめん
約束を何ひとつ守れなかった…!!」

と繰り返し謝っています。

鬼になって人間の頃の記憶が消えても尚

「あの時自分にもっと力があれば」

という後悔と自己嫌悪の気持ちだけが鬼になってからも残っていたのではないでしょうか。

「今度こそ約束を守りたい」

という思いが異常なまでの強さへの執着に繋がったと考えられます。

公式ファンブックでは猗窩座が人間と話すことを好み、殺す相手でもしばらく話しかけ相手のことを知った上で拳を振るっていたことが明かされました。

これは人間だった頃に病床に伏していた恋雪と交わしたた他愛無い会話が恋雪の心の支えになっていた名残ではないでしょうか。

作中で恋雪は

「狛治さんとのささいなお話で私
嬉しいことがたくさんありました」

と語っています。

狛治は

「病気で今年
花火を見に行けなかったとしても
来年…再来年見に行けばいい」

というように当たり前のように未来について語っていました。

このことが病弱だった恋雪に生きる意志を与えていたと考えられます。

自分の言葉が大切な人の力になっていたという思いが猗窩座をお喋りにしたのではないでしょうか。

童磨によれば猗窩座は決して女性を喰らわず殺すことすらしなかったそうです。

これは恋雪という生涯を誓い合った女性が汚してはならない大切なものとして猗窩座の心の奥底に存在していたためだと思われます。

また猗窩座は煉獄杏寿郎鬼に勧誘する際、鬼の再生能力の素晴らしさを強調していました。

もちろん永遠に鍛錬に励むことができるという意味合いが大きいと考えられます。

ですが父親や慶蔵・恋雪といった大切な人を早くに亡くしている背景を踏まえると

「病気をしないし
どんなに怪我をしても死なない」

という理由が大きいのではないでしょうか。

気に入った相手を鬼に勧誘する行動をそのものも人間時代の記憶が反映されていると考えられます。

作中では上弦などの力を持った鬼が人間を鬼に変える描写が何度か描かれています。

しかしある意味鬼から最も遠い存在といえる柱にまで積極的に声をかけていた鬼は猗窩座だけだと思われます。

一見すると無謀にも思える勧誘に臨む姿は罪人である狛治をわざわざ道場に勧誘した慶蔵の姿と重なります。

猗窩座は無意識のうちに師匠である慶蔵の行動をなぞっていたのかもしれませんね。

また煉獄杏寿郎との戦いから逃亡した猗窩座を炭治郎が追い立てる場面では炭治郎の

「卑怯者!!」

という言葉に対して猗窩座が過敏に反応しているように見えます。

単純に武人的な性格をしている猗窩座の誇りを傷つけただけかもしれません。

ですが見方を変えれば大切な人を「毒」という「卑怯」な手段で殺された過去を想起したためとも受け取れますよね。

つまり大切な人を奪った卑怯者と同じ扱いを受けたことに対する怒りだったのではないでしょうか。

ワニ先生によれば猗窩座の戦闘様式には人間時代の思い出が反映されているそうです。

「青銀乱残光」といった技の名前はすべて花火の名前です。

恋雪と狛治はたくさんの花火の下で将来を誓い合った思い出がありましたよね。

さらに「術式展開」を発動する際の構えは師匠である慶蔵が教えていた「素流」の構えであり雪の結晶のような陣は恋雪が身に着けていた髪飾りと同じ形です。

猗窩座の技の中でも特に強力なものとして相手の闘気を感知する「破壊殺・羅針」が挙げられます。

相手がどこにいても必ず位置を把握して対処する「羅針」の能力は人間時代に自分の目の届かないところで大切な人を二度も失ってしまった心の傷から生まれた能力なのではないでしょうか。

このように赤さには節々で人間時代の逸話を想起させる描写が多く描かれています。

鬼の中では珍しく自分の縄張りを持たない鬼と言われる猗窩座ですがもしかしたら人間時代に帰る場所を無くしたことに由来しているのかも知れません。

そう考えると死の間際に慶蔵や恋雪の幻影と再会したことで幸せだった日々の記憶を取り戻した猗窩座はやっと帰るべき場所を見つけることができたのかも知れませんね。

4.上弦の肆・半天狗

半天狗は小柄なお爺さんのような外見をした鬼で玉壺とともに刀鍛冶の里を襲撃しました。

喜怒哀楽を模した分身を生み出すことができいくら分身を倒しても本体を討伐しない限り倒すことができない厄介な敵でしたよね。

人間時代の名前は不明です。

生来の嘘つきで何かあるとすぐに他人に責任をなすり付け常に自分は被害者だと思っていたようです。

作中の回想場面では人間時代の半天狗が何度も罪を繰り返しそのたびに

「自分は悪くないこの手が勝手に!」

と言い訳をしていたことが明かされています。

自身を盲目だと主張していた半天狗ですが回想場面でお奉行様の顔を思い浮かべる描写があることから実際は目が見えていたのではないでしょうか。

またいつもその場しのぎの嘘で名前や年齢を偽り続けてきたためもはや自分でも本当の名前が思い出せないようになってしまいました。

何度か妻子がいたこともあったようですが虚言癖や不誠実さを指摘されるたびに虐げられたと逆上し殺害するといったことを繰り返していたようです。

罪を繰り返したことで打ち首が決定しますが刑が執行される前日に無惨に助けられ鬼となりました。

嘘で塗り固められた半天狗の人生ですが鬼になってからもこうした人間時代の影響が見られる部分があります。

公式ファンブック・弐によれば半天狗の分裂体は自身の若かりし頃の姿であるとされています。

これは人間時代に相手に合わせて年名や名前を変えひとりで何人もの人間を演じてきた名残ではないでしょうか。

また分裂体にばかり戦わせ本体は身を隠しているのも人間時代から常に自分以外の何かのせいにする言い訳をして生きてきた影響だと思われます。

実際人間時代の半天狗は自らが行った殺人を咎められた時に自分の手のせいにしていましたよね。

また自分をいじめた人間には自分がやったとバレないように仕返しをしていたようですのでこうした半天狗の陰湿で卑怯な側面が分裂体を生み出して戦わせる戦法に繋がっているのではないでしょうか。

通常鬼の弱点は頸とされていますが半天狗の分裂体は舌を斬られることで一時的に行動が停止する描写がありました。

半天狗だけが舌を弱点に持つ理由は半天狗が嘘つきの二枚舌だからだと思われます。

このように半天狗の人間時代から続く嘘つきで陰湿な性質が鬼になってからも血鬼術などに表れていると言えるでしょう。

また少し違った側面から見ると半天狗が多重人格だったという考え方もできます。

半天狗は作中でたびたび

わしは生まれてから一度たりとも
嘘など吐いたことがない」

と発言しています。

仮に半天狗が多重人格者であり人格が切り替わっている間の記憶がないとしたらどうでしょうか。

記憶がないため半天狗自身は嘘をついているつもりが一切なかったのかも知れませんね。

そう考えると喜怒哀楽の分裂隊は人間時代の別人格が具現化した存在という可能性もあり得るのではないでしょうか。

5.新上弦の肆・鳴女

鳴女は半天狗の後に十二鬼月に入った上弦の肆で単眼と長い黒髪が特徴的な鬼です。

十二鬼月入りする前は主に他の十二鬼月を無惨がいる無限城まで瞬間移動させる役割を担っていました。

上弦の肆となった後も直接的な戦闘はほぼなく無惨の元へ向かう甘露寺蜜璃と伊黒小芭内を足止めしていましたよね。

人間時代の名前は不明です。

博打うちの夫のせいで貧しい生活を送っていましたが琵琶の演奏でなんとか日銭を稼いでいたことが公式ファンブックで明かされています。

たった一着しかない演奏用の着物を博打を打つ金欲しさから夫が売り払ってしまったことで我慢の限界を迎えた鳴女はそのまま夫を金槌かなづちで殴り殺したそうです。

夫を殺した後も演奏の仕事が入っていたため強張こわばって震えながらも演奏したところ客の反応が良く演奏を称賛されたようです。

それ以降、鳴女は人を殺してから演奏に臨むようになったとされています。

そうして演奏の度に人を殺していた鳴女ですがある日たまたま命を狙った相手が無惨だったことで返り討ちに遭い気に入られたことで鬼となりました。

鳴女といえば琵琶の演奏と共に血鬼術を放つ様子が印象的ですよね。

鬼の外見や血鬼術には人間時代の強い思いが反映されやすいことを踏まえると鳴女は琵琶に並々ならぬ執着を持っていたと言えるでしょう。

実際鳴女は演奏用の衣装を売り払われたことで夫を殺害しさらには客の反応が良かったという理由だけで演奏の度に人を殺し続けていますよね。

単に鳴女が猟奇的な性格だったとも考えられます。

しかし見方を変えれば鳴女にとって琵琶の演奏は何物にも代えられない大切なものだったと考えられます。

ここからは完全な考察となりますが泣き女は人間時代・瞽女ごぜつまり盲目の演奏者だったのではないでしょうか。

鳴女がいつ鬼になったのかは不明ですが仮に他の上弦よりも後だとするならば江戸時代以降となります。

江戸から昭和にかけては瞽女と呼ばれる盲目の女性演奏者が活躍した時代でした。

目が見えなくても働き口がある現代とは違って当時の盲目の演奏者にとって演奏の可否はまさに死活問題だったと思われます。

そう考えると鳴女の琵琶に対する異様な執着にも一応の納得がいきますよね。

鳴女が無惨も認めるほどの探知能力を得たのももしかしたら人間時代に見たいものを自由に見ることができなかった反動だったのかも知れません。
 

6.上弦の伍・玉壺

玉壺は両目が口になっている異形の鬼です。

作中では半天狗とともに刀鍛冶の里を襲撃し甚大な被害を与えますが「痣」を発現した霞柱・時任無一郎によって討伐されました。

公式ファンブック・弐によると人間時代の名前は益魚儀まなぎといい海岸近くの漁村で暮らしていたようです。

魚の死骸を集めるなどの奇行を繰り返しており村人からは嫌がられ子供たちからはからかわれていました。

玉壺は自分をからかいに来た村の子供たちを殺害して壺に詰めたり損傷の激しかった両親の水死体を見て

「美しい」

と感じたりと当時から一般的な常識とはかけ離れた感覚を持っていたと言えるでしょう。

殺された子供の親によって二又銛ふたまたもり滅多刺めったさしにされ放置されて死にかけていたところを無惨に拾われたことが鬼になったきっかけとされています。

玉壺の血鬼術にはこうした人間時代の記憶が反映されているもののが多くあります。

玉壺の血鬼術に魚の技が多いのは漁村で生まれ育った背景が影響しているのではないでしょうか。

公式ファンブックでは玉壺は人間時代、壺に魚の鱗や骨を貯めていたことも明かされています。

玉壺にとって壺は気に入ったものや大切なものを保管しておく宝箱のようなものだったのかも知れませんね。

また人間時代の奇行として違う種類の魚同氏を縫い合わせていたことも判明しています。

玉壺は作中でも手足の生えた異形の魚を使役しえきしたり刀鍛冶たちの体をいびつに合体させたりしていましたよね。

霞柱・時任無一郎に使用した血鬼術「水獄鉢すいごくばち」は水球の中に閉じ込めることで相手を窒息させる技でした。

人間時代には両親の水死体を

「美しい」

と感じていた玉壺ですので敵が窒息し水死体となるような技を編み出したのではないでしょうか。

このように玉壺の血鬼術には人間時代の記憶が色濃く反映されていると言えるでしょう。
 

7.新上弦の陸・獪岳

獪岳は堕姫と妓夫太郎の後釜として十二鬼月となった上弦の陸で異様なまでの自尊心の高さが特徴的な鬼です。

無限城で弟弟子である我妻善逸と対峙し見下し続けていた善逸が編み出した独自の型「漆ノ型・火雷神ほのいかずちのかみ」を受け敗北しました。

人間時代の名前も獪岳であり幼い頃は岩柱・悲鳴嶼行冥が鬼殺隊入隊前に暮らしていた寺で生活していました。

我が身可愛さに寺に鬼を招き入れ自分はそのまま姿をくらましていることが単行本掲載の大正コソコソ噂話で明かされています。

その後、元・鳴柱の桑島慈悟郎に拾われ鬼殺隊の道に進み善逸とともに「雷の呼吸」の継承者に選ばれるまでに成長しました。

しかし獪岳は自分が壱ノ型だけ修得できないことや自分とは逆に壱ノ型以外が使えない善逸と同じように扱われることが納得できなかったようです。

ある日上弦の壱・黒死牟に出会い圧倒的な強さを体験したことで鬼の道へ落ちることになりました。

人の身を捨てて鬼になった獪岳ですがその出で立ちには「鬼殺隊」への未練が見て取れます。

公式ファンブック・弐では獪岳が使用する日輪刀のような形状の刀は自身の血肉から作られたものであることが明かされています。

また獪岳が着ている服も鬼殺隊の隊服に酷似していますよね。

剣士であることに固執するあまり無意識のうちに捨てたはずの鬼殺隊に寄せた風貌になってしまったのかも知れません。

矜持きょうじが高いがゆえに強がった言動が目立つ獪岳ですが心の奥底では鬼殺隊や雷の呼吸への未練があったのではないでしょうか。

善逸とともに「雷の呼吸」の継承者に選ばれるほどの実力を持っていた獪岳ですが唯一「壱ノ型・霹靂一閃へきれきいっせん」だけ修得することができませんでした。

雷の呼吸の型には雷や雷雲、雷雨といった意味を持つ言葉が多く使われています。

例えば「電轟雷轟でんごうらいごう」は稲光が走り雷が鳴り響くことを指す言葉です。

熱界雷ねっかいらい」は雨を伴う雷を意味する言葉です。

一方「霹靂一閃」は「青天の霹靂」から付けられた名前だと思われ晴れ渡った青い空に突然激しい雷が鳴り響く様を表します。

つまり雷の呼吸の中で「霹靂一閃」だけが晴れつまり鬼の弱点である太陽を想起させる名前を付けられているといえるでしょう。

また善逸や獪岳の師匠である桑島さんは右足が義足でした。

つまり義足の状態で二人に雷の呼吸の方を伝授したことになりますよね。

桑島さんがどのような方法で方を教えていたのかは不明ですがはじめのうちは桑島さんが型を実践して見せていた可能性が高いと思われます。

しかし「霹靂一閃」は強力な踏み込みによって電光石火の攻撃を繰り出す技ですので片足が義足の桑島さんでは正しい型を実践することは難しかったのではないでしょうか。

もちろん言葉で細かく伝えたのだとは思いますがやはり完成形を見るのと見ていないのとではは技を修得する難易度が全く違うと考えられます。

炭治郎父・炭十郎も幼い炭治郎に「透き通る世界」を見せていましたし炭治郎の先祖である炭吉も始まりの剣士・継国縁壱が日の呼吸を使う姿を見ることでヒノカミ神楽として後世に継承していますよね。

つまり善逸は

「自分で考えて工夫する力」

に長けていたと言えます。

逆に自らを変えようとしない獪岳は自ら考えようとはしなかったと言えるでしょう。

愈史郎が死に際の獪岳に対して

「自分では何も生み出そうとはしない」

と諭されていたように獪岳は桑島さんに与えられてばかりだったことが「霹靂一閃」を修得できなかった理由の一つと考えられます。

そう考えると獪岳が「霹靂一閃」だけを修得できなかったことや「霹靂一閃」を極めた善逸が鬼となった獪岳を打ち倒したことには何か宿命づけられたものを感じますよね。
 

8.上弦の陸・堕姫、妓夫太郎

堕姫と妓夫太郎は遊郭編で登場した二人一組の鬼で実の兄妹でもあります。

妹の堕姫は遊郭でも最上位の花魁と言われるほどの美貌を持ち高飛車で我儘わがままな性格をしています。

対して兄の妓夫太郎はボサボサの髪痩せ細った体をしており陰険な性格をしています。

二人は鬼になる以前から血の繋がった兄妹として遊郭に生まれました。

堕姫の人間時代の名前は「梅」
妓夫太郎は人間時代も「妓夫太郎」

という名前だったようです。

妓夫太郎は醜悪な自分とは違って美しく華やかな妹を誇りに思い溺愛してきました。

妹の梅もまた幼い頃から母親に虐待されていた自分を守ってくれた兄を信頼し大切に思っていたようです。

そんな二人が鬼になったきっかけは梅が客である侍の目をかんざしで突き、失明させてしまった事件でした。

報復として生きたまま体に火を付けられた梅は瀕死となります。

侍と侍を先導した女性を殺害した妓夫太郎は今にも亡くなりそうな妹を抱えながら泣き崩れました。

そこに当時はまだ上弦の陸だった童磨が現れ、血を貰った二人は鬼の道へと進むことになります。

公式ファンブック・弐では梅が侍の目を突いたのは妓夫太郎を侮辱されたためとされています。

妓夫太郎の人間時代との共通点は外見や血鬼術に表れていると言えるでしょう。

シミのような模様とギザギザの歯が特徴的な妓夫太郎ですがこれは「先天性梅毒」の症状の一つとされています。

作中では妓夫太郎たちの母親は娘の名前を自らの病気から付けたと説明されていました。

このことから妓夫太郎たちの母親は「梅毒」だったと推察できます。

人間時代周囲が妓夫太郎の容姿や強さを恐れるようになるにつれて妓夫太郎は自身の醜さを誇りに思うようになっていきました。

妓夫太郎にとって自身の容姿は強さの証であり妹を守るための武器だったのではないでしょうか。

また妓夫太郎の血鬼術が鎌の形状をしているのは人間時時代に客が忘れていった鎌を遊び道具として扱っていた経験が反映されていると思われます。

妹の堕姫にもまた人間時代の影響が見られています。

堕姫の顔に浮かぶ花のような模様は「梅の花」ではないでしょうか。

先ほども解説したように堕姫の人間時代の名前は「梅」であり桃色の花を咲かせる紅梅の花言葉は

「艶やか」

です。

常に美しくありたいという堕姫の強い想いが模様となって表れたのではないでしょうか。

またかつては人間だったにも関わらず平気で人々を傷つける鬼の存在を咎める炭治郎に対し堕姫は

「昔のことなんか覚えちゃいないわ」

と切り捨てています。

しかし堕姫は続けて

「鬼は老いない
食うために金も必要ない
病気にならない
死なない
何も失わない」

と語りました。

鬼になったことで人間時代の記憶を失ったかのように振る舞う堕姫ですがこうした発言は貧困の辛さや誰も助けてくれない絶望、遊郭という美しいさが全ての世界の厳しさを経験しているからこその発言と言えるでしょう。

覚醒した禰豆子の「爆血」を受けた堕姫はかつて生きたまま火を放たれた時の記憶が蘇っているようにも見えます。

こうした点からも完全ではないにしろ堕姫には人間時代の記憶の断片が残っており少なからず鬼になってからの言動に影響を与えていると考えられるのではないでしょうか。

妓夫太郎と堕姫は仮にどちらか片方の頸を斬られてももう片方が生きていれば消滅することがありません。

鬼の中でも珍しいこの特性は二人が人間時代に交わしたある約束に起因していると思われます。

妓夫太郎の回想では寒さに震える妹を抱きながら

「俺たちは二人なら最強だ
寒いのも腹ペコなのも全然へっちゃら
約束するずっと一緒だ
絶対離れない
ほらもう怖くないだろ」

と語りかける姿が描かれています。

つまり「ずっと一緒だ離れない」という約束が強い意志となり鬼なっても「二人一組」という特性につながったのではないでしょうか。

また作中では妓夫太郎が堕姫を操る描写がありましたよね。

この時、堕姫の額には妓夫太郎の瞳が移動しています。

これは人間時代に自分がいないところで妹に火を放たれてしまったことから今度こそ大切な妹から目を離したくないという妓夫太郎の気持ちの表れだと推察できます。
 

まとめ

こうして振り返ってみると一見すると理解しがたい鬼の外見や言動にも人間時代の未練や強い想いが反映されていることが分かります。

最終的には鬼殺隊に討伐された上弦の鬼ですが実は全員が自分にないものを持っている存在あるいは苛立いらだたしく思っている存在に倒されています。

弟と決別しながらも弟と同じ世界が見たかった黒死牟は縁壱と同じく双子の弟である時透無一郎、強い絆で結ばれている不死川兄弟、盲目ながら物事の本質を見抜く力を持っている悲鳴嶼行冥の四名に討伐されました。

感情のない童磨は感情を取り戻しつつあるカナヲと感情のままに生きている伊之助によって討伐されています。

弱くて卑怯な自分を殺したかった猗窩座は卑怯とは対極にいる竈門炭治郎と感情を表に出さず自らの気持ちを押さえることができている冨岡義勇に倒されました。

嘘にまみれた半天狗は正直者の炭治郎に頸を斬られましたよね。

兄妹鬼である妓夫太郎と堕姫は同じく兄妹である炭治郎と禰豆子そして鬼と同じ夜を活動の場としていた元忍びで何でも持っている宇髄天元に討伐されました。

全てを見下していた獪岳は弟弟子である我妻善逸によって倒されています。

そういった意味では上弦の鬼たちはなりたかった自分や認めたくない自分の側面によって討伐されたとも言えるのかも知れませんね。

上弦の鬼の過去が悲しすぎる!

なんだか憎みきれない!

と思った人はまた次の記事でお会いしましょう。

今回は以上です。

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